村入用
【概説】
江戸時代の農村(村落)において、村の維持や共同運営のために必要とされた諸経費。水路や道路の補修費、村役人の給与、公用の接待費や訴訟費用など多岐にわたり、原則として村高に応じて各百姓に割り当てられた。
多様な経費とその内訳
江戸時代の村落は、領主から自律的な統治を認められた「村請制(むらうけせい)」のもとで運営されていた。この村の共同体を維持・管理するために必要とされた経費が村入用(村入用金とも呼ばれる)である。村入用の使途は多岐にわたるが、主に以下のようなものがあった。
第一に、村のインフラ維持に関わる費用である。農業用水路の浚渫(しゅんせつ)や木々の伐採、村内の道路や橋の普請(土木工事)費用がこれに該当する。第二に、村の行政・自治経費である。村政を担う地方三役(名主・組頭・百姓代)への手当や給与(役公事)のほか、領主の検地役人や巡見使が訪れた際の接待費や宿泊費(賄用)、他村との境界争いや水利をめぐる訴訟に要した費用(出入用)などが含まれた。これらは村の共同体を存続させるために必要不可欠なコストであった。
村入用の割り当て方法と負担の実態
村入用は、領主に納める正規の年貢(本途物成)とは異なり、村の内部で自主的に合算され、配分された。その割当基準にはいくつかの方法があったが、最も一般的だったのが各自の持ち高(石高)に応じて按分する高割(たかわり)である。石高を多く持つ有力な本百姓ほど多くの村入用を負担し、持高の少ない零細農民の負担は低く抑えられる仕組みであった。
しかし、名主の裁量や村の慣習によっては、家ごとに均等に課す「家割(まわり)」や、家族の人数に応じて課す「人別割(にんべつわり)」が組み合わされることもあった。これにより、持高を持たない、あるいは極めて少ない水呑百姓に対しても村入用の負担が求められることがあり、彼らの家計を圧迫する要因となった。年貢以外の雑税(小物成など)に加えて、この村入用が重くのしかかったため、農民にとっての実質的な負担は公表されている年貢率以上に重いものであった。
村方騒動と会計の不透明性
村入用の徴収と支出の管理は、原則として村役人である名主(庄屋)や組頭に一任されていた。しかし、その会計監査が不十分であったため、村役人が村入用を私的に流用したり、領主への接待費を過大に計上して着服したりする不正がしばしば発生した。これが、江戸時代中期以降に頻発した村方騒動(むらかたそうどう)の大きな引き金となった。
村方騒動において、一般の平百姓や水呑百姓らは、村役人の不正や特権的な村政運営を批判し、村入用の明細を記録した「村入用帳(割付帳・算用帳)」の開示を求めて激しく抗議した。このような農民たちの要求に対し、幕府や藩などの領主も村落秩序の安定を図るため、会計監査の立ち会い役として百姓代の設置を義務付けたり、年度末に村入用の決算書を村中に公開して合意を得る手続きを命じたりした。村入用をめぐる対立と妥協を通じて、江戸時代後期の村落社会では、合意形成の仕組みが徐々に整えられていくこととなった。