桐生・伊勢崎

西陣から高機などの技術を導入し、高級絹織物の産地として発展した上野国の地域はどこか。
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重要度
★★

【参考リンク】
群馬県(Wikipedia)

桐生・伊勢崎 (きりゅう・いせさき)

江戸時代

【概説】
江戸時代に飛躍的な発展を遂げた、上野国(現在の群馬県)を代表する絹織物の産地。京都の西陣から「高機」などの先進技術を導入し、独自の生産・流通体制を築くことで、東国随一の繊維産業地帯へと成長を遂げた地域である。

西陣技術の導入と「西の西陣、東の桐生」

桐生や伊勢崎が位置する両毛地域は、古代より養蚕や製糸業が盛んな土地であった。しかし、江戸時代初期までは「地機(じばた)」を用いた極めて素朴な織物の生産にとどまっていた。転機が訪れたのは18世紀前半である。桐生の織物師らが京都の西陣から、複雑な模様を織り出すことができる高機(たかばた)の技術や、高度な染色・紋織の技法を導入することに成功した。

これにより、それまでの地機による粗放な生産から、高級絹織物の量産体制へと一挙に移行した。桐生は西陣に匹敵する高級織物「桐生織」の地位を確立し、「西の西陣、東の桐生」と並び称されるようになる。一方、隣接する伊勢崎は、実用的な「伊勢崎太織(ふとおり)」やのちの銘仙に代表される、庶民・中流階級向けのファッショナブルな織物を得意とし、桐生とは異なる独自の市場を開拓していった。

問屋制家内工業からマニュファクチュアへの発展

技術革新と並行して、生産組織の構造改革が進んだことも重要である。当初、農家が自給自足や副業として行っていた織物業は、18世紀後半になると、都市の織物買次商や在郷の有力者が、織手(農民)に生糸などの原料や道具、前貸資金を支給して製品を回収する問屋制家内工業へと変化した。

さらに江戸時代後期(19世紀)に入ると、一部の富裕な織元は、自らの作業場に多数の織機と織手を集めて分業・協業による生産を行う、初期のマニュファクチュア(工場制手工業)を形成するに至った。これは、日本における初期資本主義の萌芽を示す経済史上の重要な変革であり、幕末から明治期にかけての日本の近代産業化を基礎づける役割を果たした。

在郷工業の自立と江戸市場との結びつき

桐生や伊勢崎の台頭は、それまで京都の西陣や大坂の商人が独占していた日本の絹流通ルートに大きな風穴を開けた。両地域の織元たちは、江戸の荷受問屋と直接結びつくことで、京都・大坂を通さない独自の流通網を構築し、巨大消費都市となった「江戸」の需要を直接吸収した。

江戸幕府がたびたび発令した奢侈禁止令(倹約令)による打撃を受けつつも、彼らは安価で質の高い代替品の開発や、地方市場(地方送荷)の開拓を行うことで逞しく生き残り、近代の日本の主要輸出産業(生糸・絹織物)を牽引する一大拠点としての土台を確立していったのである。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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