薩摩上布
【概説】
江戸時代、薩摩藩の支配下において主に琉球王国や奄美群島から貢納品として徴収された、極めて精緻で上質な麻織物。藩の専売品として「薩摩」の名を冠して中央市場へ流通し、将軍家への献上品や高級衣料として珍重された。砂糖と並び、薩摩藩の財政を支えた重要な交易品である。
島津氏の琉球支配と過酷な貢納制度
1609年(慶長14年)の薩摩藩(島津氏)による琉球侵攻以降、琉球王国は薩摩藩の服属下に置かれ、奄美群島は藩の直轄領(蔵入地)となった。薩摩藩はこの地域に対して厳しい検地や貢納を課したが、稲作に適さない風土を考慮し、米の代わりに現物での納税を求めた。これが薩摩上布の生産背景である。
特に宮古島や八重山群島、奄美群島では、女性に対して厳しい品質検査を伴う織物課税(人頭税の一種)が課された。現地の女性たちは、過酷な労働環境の中でチョマ(苧麻)の繊維を極限まで細く裂いて糸を紡ぎ、極めて精巧な絣織(かすりおり)や平織の麻織物を織り上げた。この高い技術力に裏打ちされた貢納品が、のちに「薩摩上布」として知られることとなる。
専売制の展開と藩財政への貢献
薩摩藩は、琉球や奄美から集められた上質な織物を「薩摩上布」と命名し、幕府への献上品や他藩の大名への贈答品として用いることで、政治的な地位の維持・向上に役立てた。同時に、大坂や京都、江戸などの大都市において専売制を敷いて流通させ、夏の最高級衣料として公家や武家、富裕な町人たちの間で圧倒的な人気を博した。
この上布の専売事業は、薩摩藩にとって特産品である砂糖(黒糖)に並ぶ莫大な利益をもたらした。19世紀前半に実施された天保の改革(調所広郷による改革)においては専売制がさらに強化され、薩摩藩の巨額の借財を完済し、幕末期の軍事近代化資金を蓄えるための重要な財政的土台となった。なお、薩摩上布の生産技術は、近代以降の伝統工芸品である「本場大島紬」や「宮古上布」、「八重山上布」などの技術的起源として今に受け継がれている。