早雲寺殿廿一箇条

高校日本史的重要度
★★

早雲寺殿廿一箇条 (そううんじどのにじゅういっかじょう)

16世紀初頭頃

【概説】
戦国大名後北条氏の祖である北条早雲(伊勢宗瑞)が定めたとされる、日常の心得や道徳を説いた21か条からなる家訓。武士としての私生活における礼儀作法や心構え、読書や文武の励みなどを具体的に規定した史料。戦国時代における大名家訓の代表例として知られる。

日常生活の規律と武士のモラル

『早雲寺殿廿一箇条』は、領国支配のための基本法(分国法)というよりも、一族や家臣たちが身につけるべき道徳規範や日常生活の細かな作法を記した「家訓」としての性格が強い。その内容は極めて具体的かつ実践的である。

第1条の「仏神の崇拝」に始まり、早寝早起きや倹約の励行、衣服の身だしなみ、さらには言葉遣いや他者への応対に至るまで、武士としての「あるべき姿」が細かに説かれている。また、乗馬の稽古や読書(特に論語などの儒学書や歴史書)の推奨など、文武両道を重んじる姿勢が貫かれており、実力本位の戦国社会を生き抜くための自己規律を説いたものとして評価される。

領国統治への精神的基盤と後世の評価

本書に示された倹約や自制の精神は、後北条氏が5代にわたって関東を支配する上で、領民に寄り添う「撫民(ぶみん)」の政治姿勢へと繋がっていく。事実、後北条氏は東国において低い税率(四公六民)を維持するなど、善政を敷いたことで知られるが、その精神的源流がこの21か条に認められる。

成立年代については、北条早雲が直筆したとする説のほか、後北条氏の支配が安定した戦国時代中期以降に、初代・早雲の権威を借りて家臣団統制のために編纂されたとする「後世偽託説」もある。しかし、いずれにしても本書が戦国大名家における道徳教育や家臣教育のバイブルとして広く受け入れられ、江戸時代の武士道精神の形成にも大きな影響を与えた歴史的価値は極めて高い。

最終更新:
2026年7月4日 @ 16:12

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Q. 陰暦7月7日に行われ、裁縫などの上達を星に祈る「乞巧奠」の風習と結びついた宮中の年中行事は何か?
Q. 新補率法において、地頭が荘園内のすべての田畑から「1段につき5升」の割合で追加徴収することを認められた得分を何というか?
Q. 琉球王国が薩摩藩(日本)の実質的な支配下にありながら、清(中国)へも朝貢を続けていた二重の属国状態を何と呼ぶか。