絹織物
【概説】
生糸を原料として作られた高級な織物。安土桃山時代には大名や富裕層の間で需要が高まり、南蛮貿易における最大の輸入品目として対外関係や国内経済に多大な影響を与えた。
権力者による需要の急増と国内生産の限界
戦国時代から安土桃山時代にかけて、天下人や大名、豪商たちの間で、権威を誇示するための豪華な衣装に対する需要が急増した。特に陣羽織や小袖、茶器の仕覆(しふく)などに用いられる高級な絹織物は、上流階級のステータスシンボルとなった。しかし、当時の日本国内における養蚕・製糸技術はまだ未発達であり、生産される絹は品質が粗悪で量も限られていた。そのため、質の高い中国(明)産の生糸(白糸)や絹織物に依存せざるを得ない状況であった。
南蛮貿易における最大の輸入品目
16世紀中頃に日本に来航したポルトガル人は、この日本の旺盛な絹需要に目をつけた。当時、明は倭寇への警戒から海禁政策をとっており、日本との正式な国交(勘合貿易)も途絶えていた。そこでポルトガル商人は、マカオを拠点として中国産の生糸や絹織物を買い付け、長崎などに持ち込んで日本の銀と交換する中継貿易を行った。
折しも日本国内では石見銀山をはじめとする銀の産出量が飛躍的に増加しており、この豊富な銀を対価として大量の絹織物や生糸が輸入された。南蛮貿易(ポルトガルとの貿易)における主要な輸入品目というと鉄砲や火薬類などの印象が強いが、取引額において圧倒的な割合を占め、莫大な富を動かしていたのはこの中国産の絹織物と生糸であった。
国内産業の発展と糸割符制度への布石
大量の生糸や絹織物の流入は、日本の経済や産業に多大な影響を与えた。完成品としての絹織物が珍重される一方で、輸入された上質な生糸を原料として、京都の西陣などを中心に国内の高級織物産業が大きく発展を遂げた。明から伝わった高度な織機である高機(たかばた)なども導入され、金襴や緞子(どんす)といった高級織物が国内でも生産される基盤が形成されていった。
このように安土桃山時代における絹織物・生糸の莫大な輸入は、のちにポルトガル商人の暴利を防ぐ目的で江戸幕府が導入する糸割符制度(1604年)の直接的な背景となった。さらに長期的には、国内における製糸業・織物業の発達を促し、江戸時代中期以降に日本が世界有数の生糸・絹織物生産国へと転換していくための歴史的な第一歩となったのである。