直良信夫

重要度

直良信夫 (なおらのぶお)

1902年〜1985年

【概説】
兵庫県明石市で「明石人(明石原人)」の腰骨を発見した、大正から昭和期にかけて活躍した在野の考古学者・古生物学者。日本における旧石器時代存在の可能性をいち早く提示し、戦前・戦後の学界に大きな一石を投じた先駆的研究者である。

西八木海岸での発見と「明石人」

1931年(昭和6年)、直良信夫は兵庫県明石市の西八木海岸において、洪積世(更新世)の地層と目される粘土層から、化石化したヒトの左寛骨(腰骨)を発見した。直良はこの骨が縄文時代よりもさらに古い時代(旧石器時代)の人類のものであると考え、学会に発表した。しかし、当時の日本歴史学・考古学界は「日本に旧石器時代(先土器時代)は存在しない」とする見解が主流であった。さらに、直良が正規の学術機関に属さない在野の研究者であったことも災いし、彼の発見は学界の主流派から「出土した地層が不確定である」などとして冷遇され、事実上黙殺されることとなった。

戦後の再評価と「明石原人」論争

太平洋戦争末期の1945年、東京帝国大学に保管されていた直良の発見した腰骨(実物)は、米軍による空襲(東京大空襲)の戦火によって焼失してしまった。しかし戦後の1948年、人類学者の長谷部言人が残された石膏模型をもとに、この人骨を直立原人段階のものと認め、「明石原人(ニッポanthropus akasiensis)」と命名して発表した。翌1949年には相沢忠洋によって岩宿遺跡から旧石器(石器)が発見され、日本に旧石器時代が存在したことが科学的に証明されたため、直良の先駆的な発見は一躍脚光を浴びることとなった。後の1980年代のコンピュータ解析などにより、この腰骨は縄文時代以降の新人(現代人)のものである可能性が濃厚となったが、当時の学界の偏見に抗い、日本における人類の起源に迫ろうとした直良の地道な探求と情熱は、日本の考古学史における重要な1ページとして高く評価されている。

明石原人の発見―聞き書き・直良信夫伝 (現代教養文庫)

幻の原人を追った男の執念と、学問の深淵に触れる感動の評伝。

考古学と古代日本

日本列島の歴史を解き明かす、考古学の知見とロマンが詰まった一冊。

日本史一問一答(ランダム)

Q. 律令制の給与の一つで、三位以上の高位の貴族に対し、その位階の高さに応じて指定された農戸(封戸)からの税を収入として与える制度を何というか?
Q. 九州北部に多く見られる、数個の支え石の上に巨大な天井石を乗せた朝鮮半島伝来のお墓を何というか?
Q. 512年、新羅の圧迫に苦しむ百済の要求を受け、大伴金村が百済への割譲(譲渡)を認めたとされる朝鮮半島南部の地域はどこか?