グレゴリウス13世 (ぐれごりうすじゅうさんせい)
【概説】
16世紀後半に在位したローマ教皇。カトリック教会の対抗宗教改革を推進し、現代世界で広く用いられている「グレゴリオ暦」を制定したことで知られる一方、日本の天正遣欧使節をローマで熱烈に歓迎し、極東布教を財政的・精神的に強力に支援した人物。
対抗宗教改革とイエズス会の東洋布教支援
グレゴリウス13世が教皇に即位した16世紀後半のヨーロッパは、マルティン・ルターらに始まる宗教改革の嵐のなかにあった。北欧やドイツ、イギリスなどでプロテスタント勢力が台頭し、カトリック教会は危機的な状況に直面していた。これに対抗するため、カトリック側は「対抗宗教改革(反宗教改革)」を展開し、内部の規律を正すとともに、アジアやアメリカ大陸といった新世界への海外布教に活路を見出そうとした。
こうした状況下で、グレゴリウス13世は東洋布教の中核を担っていたイエズス会を強力に支援した。彼はアジア各地に神学校(セミナリヨやコレジオ)を建設するための資金を援助し、日本における宣教活動にも深く関与した。当時、織田信長や豊臣秀吉が台頭していた安土桃山時代の日本は、カトリック教会にとって「最も有望な宣教地」とみなされていたのである。
天正遣欧使節のローマ謁見と熱烈な歓迎
1582年、イエズス会宣教師のヴァリニャーノの提案により、九州のキリシタン大名(大友宗麟、大村純忠、有馬晴信)の名代として、伊東マンショや千々石ミゲルら4人の少年を中心とする天正遣欧使節が長崎を出発した。彼らが3年におよぶ苦難の航海の末、1585年3月にローマに到着した際、教皇グレゴリウス13世はこれを熱烈に歓迎した。
当時83歳の高齢で病身であった教皇は、異国から到着した少年使節を大歓迎し、公式の一般謁見(ロイヤル・オーディエンス)を執り行った。使節団が教皇の足に接吻し、キリシタン大名からの親書を手渡すと、教皇は涙を流して彼らを抱擁したと伝えられている。カトリック教会にとって、地球の反対側である日本から信者が忠誠を誓いにやってきたという事実は、プロテスタントに対抗する上での最高のアピール(プロパガンダ)となったため、教皇庁を挙げての最大の国家的イベントとして扱われたのである。
使節謁見直後の逝去とその歴史的意義
グレゴリウス13世は、天正遣欧使節との謁見からわずか数週間後の1585年4月10日に逝去した。使節団は彼の葬儀に参列し、続いて即位した新教皇シクストゥス5世の戴冠式にも出席するという、歴史的な転換期に直接立ち会うこととなった。
グレゴリウス13世の治世に実現したこの使節の謁見は、ヨーロッパ社会における日本の認知度を飛躍的に高めた。使節の行動は、教皇の制定したグレゴリオ暦が導入されたばかりのヨーロッパ各地でニュース(パンフレット)として印刷・配布され、日本が「極東の洗練された文化を持つ国」として紹介される契機となった。日本史においては、ヨーロッパの最高権威者である教皇と日本の大名が直接的な外交・宗教的接触を持った記念碑的な出来事として、グレゴリウス13世の名は深く刻まれている。