旧石器時代
【概説】
人類の歴史において、土器を使用せず打製石器のみを用いていた時代。人々は定住せず、大型獣の狩猟や植物採集を生活の基盤とし、獲物を求めて移動生活(遊動生活)を営んでいた。日本列島においては、約3万数千年前から約1万6000年前頃の更新世後期にあたる時期を主に指す。
日本における旧石器時代の発見
第二次世界大戦以前の日本の歴史学および考古学においては、日本列島における人類の歴史は縄文時代から始まると考えられており、旧石器時代の存在は否定されていた。火山灰が降り積もって形成された赤土の地層である関東ローム層は酸性が強く、化石骨などが残りにくいこともその一因であった。
しかし、1946(昭和21)年に在野の考古学研究者である相沢忠洋が、群馬県の岩宿において関東ローム層の中から打製石器を発見した。これを受けた1949年の明治大学による岩宿遺跡の発掘調査によって、土器を伴わない旧石器時代の文化層が日本列島にも確実に存在することが学術的に証明された。この発見は、日本の歴史を数万年単位で遡らせる日本考古学史上の大転換点となった。
当時の自然環境と人々の生活
旧石器時代は、地質学的には更新世(氷河時代)と呼ばれる時期に相当する。地球規模で寒冷な氷期と比較的温暖な間氷期が繰り返され、氷期には海面が著しく低下したため、日本列島は間欠的にアジア大陸と陸続きになっていたと考えられている。この陸橋を通じて、北からはマンモスやヘラジカ、南からはナウマンゾウやオオツノジカなどの大型哺乳動物が渡来し、それらを追って人類も日本列島に足を踏み入れた。
当時の人々は、これらの大型獣を主な狩猟対象としていた。定住することはなく、獲物の移動や季節ごとの植物採集に合わせて、洞窟や岩陰、あるいは台地上の水辺に簡単なテント式の小屋を建てて生活する移動生活(遊動生活)を送っていた。集団の規模も小さく、十数人程度の小規模な血縁集団(バンド)で行動していたと推測されている。
石器の変遷と技術の発展
旧石器時代の人々は打製石器のみを使用したが、その製作技術や形態は時期によって変化を見せている。日本列島における確実な旧石器時代は、約3万数千年前の後期旧石器時代からとされる。この時期には石を打ち欠いて縦長の剥片を作り出す石刃(ブレード)技法が発達し、獲物の肉や皮を切り裂くためのナイフ形石器が列島各地に広く普及した。
その後、約2万年前頃からは、槍の穂先として木の柄に縛り付けて使用された尖頭器(ポイント)が発達した。さらに旧石器時代の末期(約1万6000年前〜)になると、ユーラシア大陸北東部からシベリアを経て、カミソリの刃のような極めて小型の石器である細石器(マイクロリス)を製作する技術が伝わった。細石器は、木や骨で作った柄の溝に複数個を一直線に埋め込んで使用するもので、石材を節約しつつ鋭利な武器・道具を大量生産できる画期的な発明であった。
縄文時代への移行と歴史的意義
約1万数千年前、地球が温暖化に向かい地質学上の完新世を迎えると、自然環境は激変した。海面が上昇して日本列島が大陸から切り離され、植生も針葉樹林から落葉広葉樹林や照葉樹林へと変化した。この気候変動と狩猟圧によって大型獣は絶滅し、代わりにニホンジカやイノシシなどの中型・小型獣が増加した。
このような自然環境の劇的な変化に適応するため、動きの素早い小型獣を射止める弓矢が発明され、植物性食料の煮炊きや貯蔵に不可欠な土器が出現した。旧石器時代から脈々と受け継がれた狩猟・採集の技術は、気候の温暖化という環境変化を背景に、磨製石器の本格的な使用や定住生活を特徴とする縄文時代へと歴史を大きく前進させることになったのである。