獲得経済 (旧石器時代〜縄文時代)
【概説】
自然界に存在する動植物を、狩猟・採集・漁労などの手段によって直接手に入れて生活を営む経済形態。人類の歴史における最も初期の経済段階であり、自ら食料を生産する「生産経済」と対比される概念である。日本列島においては、旧石器時代から縄文時代にかけてこの経済形態が展開された。
氷期における旧石器時代の獲得経済と移動生活
日本列島における人類の歴史が本格化する後期旧石器時代(約4万年前〜)は、地質学上の更新世にあたり、現在よりもはるかに冷涼な氷河時代であった。この過酷な環境下において、人々はナウマンゾウやオオツノジカ、ヘラジカといった大型哺乳類を追いかける狩猟活動を中心に生活していた。
大型獣は季節や気候に応じて移動するため、人間もまた、その動向に合わせて居住地を頻繁に変える移動生活(遊動生活)を余儀なくされた。そのため、定住的な住居は造られず、洞窟や岩陰、あるいは簡単なテント状の仮住まいが利用された。道具としては、石を打ち欠いて作ったナイフ形石器や、槍の先に取り付ける尖頭器(ポイント)などの打製石器が用いられ、これらは獲得経済を支える不可欠な技術であった。
温暖化にともなう縄文時代の多様化と「定住型獲得経済」
約1万3000年前、氷期が終わり地球規模の温暖化(完新世の到来)が始まると、日本列島の自然環境は劇的に変化した。針葉樹林に代わって、東日本にはブナやクリなどの落葉広葉樹林が、西日本にはシイやカシなどの照葉樹林が広がり、植物資源が極めて豊かになった。また、大型哺乳類が絶滅・北上した一方で、森には動きの素早いシカやイノシシなどの中小哺乳類が増加した。
この環境変化に適応するため、縄文人の獲得経済は著しく進化を遂げた。狩猟においては、素早い獲物を仕留めるために弓矢が発明された。採集においては、クリ、トチ、ドングリなどの堅果類が重要な主食となり、これを加工・煮沸して渋抜きを施すために縄文土器が開発された。さらに、温暖化による海進(縄文海進)は豊かな入江や干潟を形成し、骨角器を用いた釣針や銛(もり)、さらには網を利用した本格的な漁労、貝類の採集(貝塚の形成)をもたらした。
このように、四季を通じて多様な食料資源を安定的・計画的に獲得できるようになったことで、人々は移動を繰り返す必要がなくなり、竪穴住居を設けて集落を営む定住生活へと移行した。世界的に見れば、定住は農耕・牧畜(生産経済)の開始と結びつくのが一般的であるが、日本列島においては豊かな自然環境を背景に「獲得経済のまま定住化を達成した」という点が極めてユニークな歴史的特徴とされる。
弥生時代への移行と獲得経済の持続性
紀元前10世紀頃(あるいは前4世紀頃)になると、大陸から水稲耕作の技術が伝来し、日本列島は自ら食料を生産し貯蔵する「生産経済」の時代(弥生時代)へと大きく舵を切ることになる。生産経済への移行は、社会の組織化や階級の誕生、国家の形成へとつながる歴史的転換点となった。
しかし、稲作を中心とする生産経済が定着した後も、獲得経済が完全に消滅したわけではない。弥生時代においても、農閑期や災害時の備えとして、また重要な栄養源として、野生動物の狩猟や川魚・海魚の漁労、山菜の採集は並行して行われ続けた。特に、水田耕作に適さない山間地域や沿岸地域では獲得経済の比重が高く維持された。また、本州以南とは異なる歴史を歩んだ北海道の続縄文文化や、南西諸島の貝塚時代においては、農耕を受容せず、より高度化した獲得経済が維持された。獲得経済は、日本列島の多様な自然環境に柔軟に適応するための、持続可能で強靭な生活技術であったと言える。