移動生活
【概説】
一ヶ所に定住せず、獲物や季節の植物を求めてキャンプ地を次々と移動する旧石器時代の生活様式。氷河時代である更新世の厳しい自然環境のなかで、狩猟と採集による生業を成り立たせるために不可欠な適応戦略であった。
更新世の自然環境と生業の背景
日本列島に人類が足跡を記した旧石器時代は、地質学的には氷河時代と呼ばれる更新世にあたる。当時の気候は現在よりも寒冷であり、ナウマンゾウやオオツノジカ、ヘラジカなどの大型獣が生息していた。旧石器時代の人々は打製石器を用い、これら大型獣の狩猟や植物性食料の採集によって命をつないでいた。しかし、自然界から得られる動植物の資源は季節によって変動し、特定の場所に留まり続けるとたちまち周囲の食料を取り尽くしてしまう。そのため、獲物の移動ルートや季節ごとに実る植物を追い求めて、定期的に居住地を変える「移動生活(遊動生活)」が必然的に営まれることとなった。
キャンプ地の様相と住居
移動生活の痕跡は、各地で発見される旧石器時代の遺跡から読み取ることができる。当時の遺跡の多くは、獲物を見つけやすい見晴らしの良い台地上や、生活用水が得られる水場に近い河川の段丘に形成されている。発掘調査では、後の時代に見られるような竪穴住居などの本格的な定住施設はほとんど見つからず、数個のブロック(石器製作の際に出た砕片の集中部)や、調理施設と考えられる礫群(焼けた石の集まり)が検出されることが多い。人々は洞穴や岩陰を利用するか、あるいは獣皮などを用いた短期間で解体・持ち運びが可能なテント式の簡易な小屋を建て、数人から十数人程度の血縁を中心とした小集団(バンド)でキャンプを繰り返していたと考えられている。
石器の石材が示す広域な移動ネットワーク
当時の人々がどれほどの範囲を移動していたかは、出土する石器の石材から推測することができる。石器の材料として重宝された黒曜石(長野県和田峠、北海道白滝など)やサヌカイト(香川県白峰山など)、硬質頁岩といった良質な石材は、原産地が限られている。しかし、実際の遺跡では原産地から数百キロメートルも離れた場所でこれらの石材が発見されることが珍しくない。これは、旧石器時代の人々が広大な範囲を移動しながら資源を獲得していたことや、移動生活を送る小集団同士が遭遇した際に石材の交換(互酬的なネットワーク)を行っていたことを示唆しており、当時の社会構造や集団間の交流を知る上で極めて重要な手掛かりとなっている。
気候温暖化と定住化への移行
約1万数千年前、更新世から完新世へと移行し地球規模で気候が温暖化すると、日本列島の植生は針葉樹林から落葉広葉樹林・照葉樹林へと変化し、ドングリやクルミなどの木の実が豊富に得られるようになった。動物相も大型獣が絶滅し、ニホンジカやイノシシなど動きの俊敏な中小動物が中心となった。この劇的な環境変化に伴い、人々は土器の発明により食料の煮炊きや貯蔵を可能にし、弓矢を用いて狩猟を効率化した。これにより、年間を通じて限られた範囲で安定した食料確保が可能となり、人々は竪穴住居を構えて村落(環状集落など)を形成するようになる。旧石器時代の「移動生活」から縄文時代の定住生活への転換は、日本列島における人類のライフスタイルと社会構造の決定的な画期となったのである。