第2次安倍晋三内閣

2012年の総選挙で民主党から政権を奪還し、「アベノミクス」を掲げてデフレ脱却を目指し、のちに歴代最長政権を築いた内閣は誰の内閣か?
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重要度
★★★

【参考リンク】
安倍晋三(Wikipedia)

第2次安倍晋三内閣

2012年〜2014年

【概説】
2012年(平成24年)の衆議院議員総選挙において、自由民主党が民主党から政権を奪還したことにより成立した内閣。デフレからの脱却を目指す経済政策「アベノミクス」を推進するとともに、特定秘密保護法の制定や集団的自衛権の行使容認など安全保障政策の大きな転換を図った。2020年(令和2年)まで続く憲政史上最長の連続在任期間を記録した長期政権の出発点として、日本政治史において重要な位置を占める。

政権奪還と「第2次」内閣の発足

2009年(平成21年)の政権交代以降、3年3ヶ月にわたって続いた民主党政権であったが、東日本大震災への対応や消費税増税をめぐる党内分裂などで国民の支持を失っていった。2012年(平成24年)12月、当時の野田佳彦首相による衆議院解散(いわゆる「近いうち解散」)を受けた第46回衆議院議員総選挙において、野党であった自由民主党は公明党とともに衆議院の3分の2を超える議席を獲得し、圧倒的な勝利を収めた。これにより、2007年に健康上の理由でわずか1年で首相を辞任した安倍晋三が再び内閣総理大臣に指名され、第2次安倍晋三内閣が発足した。一度退陣した首相が再び政権を担当するのは、1948年の吉田茂以来のことであった。

デフレ脱却を掲げた「アベノミクス」

本内閣が最優先課題として掲げたのが、長引くデフレ経済からの脱却と経済再生であった。安倍首相は「大胆な金融政策」「機動的な財政政策」「民間投資を喚起する成長戦略」の3つを基本方針とする、いわゆる「アベノミクス(3本の矢)」を提唱した。特に、日本銀行総裁に黒田東彦を起用して実施した「異次元の金融緩和」は、市場に大量の資金を供給することで急激な円安・株高を現出させた。これにより大企業を中心とする輸出産業の業績は回復し、雇用環境にも一定の改善が見られた。しかし一方で、実質賃金の伸び悩みや非正規雇用の増大、過度な金融緩和への依存など、日本経済の構造的な課題を後代に残すことともなった。

官邸主導の強化と安全保障政策の転換

外交・安全保障分野においても、本内閣は戦後日本の基本方針を大きく転換させる政策を次々と実行した。2013年(平成25年)には、外交・安全保障政策の司令塔となる国家安全保障会議(NSC)を創設し、同時に国家機密の漏洩に対する罰則を強化する特定秘密保護法を、強い市民的・政治的反発のなかで成立させた。

さらに2014年(平成26年)7月には、長年の政府見解であった「憲法第9条の下では集団的自衛権の行使は許されない」とする解釈を変更し、一定の要件を満たせば集団的自衛権の限定的な行使を容認する閣議決定を行った。これは東アジアの安全保障環境の変化に対応し、日米同盟を強化する目的があったが、憲法改正という正規の手続きを経ない「解釈改憲」であるとして、立憲主義の観点から激しい国論の二分を招いた。

長期政権の礎としての歴史的意義

第2次安倍内閣を支えたのは、官邸主導の強力な政治体制である。2014年(平成26年)には内閣人事局を設置して中央省庁の幹部人事を一元管理し、官僚組織に対する圧倒的な政治主導を確立した。野党の「多弱化」も相まって「安倍一強」と呼ばれる盤石な政治基盤を築いた本内閣は、2014年12月の衆議院解散(アベノミクス解散)と総選挙の勝利を経て、第3次内閣へと引き継がれた。以後、第4次内閣が総辞職する2020年(令和2年)まで、安倍首相の連続在職日数は2822日を数え、憲政史上最長を記録することとなる。本内閣は、平成から令和へとまたがる日本政治の「一強多弱」体制を確立し、現代日本の国家像を決定づけた重要な出発点である。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

日本史一問一答(ランダム)

Q. 将軍職を秀忠に譲った家康が、大御所として移り住み、政治の実権を握り続けた都市はどこか?
Q. 1938年、重要な軍需産業である電力事業を国家の統制下に置くために制定された法律は何か?
Q. 第2次山県内閣が制定した、政治結社や集会、労働組合の結成やストライキなどを厳しく規制した法律は何か?