石器時代

重要度
★★★

石器時代

約3万8000年前〜紀元前4世紀頃

【概説】
金属器が使われるようになる以前の、人類が主に石で作った道具(石器)を用いていた時代。世界史的には旧石器時代、中石器時代、新石器時代に区分されるが、日本史においては打製石器を用いた旧石器時代と、磨製石器や土器を用いた縄文時代がこれに該当する。人類史の大部分を占め、自然環境に適応しながら狩猟・採集・漁労を基盤とする生活様式が築かれた重要な期間である。

石器時代の定義と時代区分

石器時代という名称は、19世紀にデンマークの考古学者トムセンが提唱した「石器時代・青銅器時代・鉄器時代」という三時代法に由来する。人類が誕生してから金属器を実用化するまでの極めて長い期間を指し、石器の加工技術に基づいて、打ち欠いて作る打製石器のみを用いた旧石器時代と、表面を磨いて仕上げる磨製石器を用いた新石器時代に大別される。

日本列島においては、更新世(氷河時代)にあたる約3万8000年前から約1万6000年前までを旧石器時代、完新世に入り気候が温暖化した約1万6000年前から紀元前4世紀頃(諸説あり)までを縄文時代と呼ぶ。縄文時代の人々は磨製石器や土器を使用していることから、世界史的な基準に照らし合わせれば新石器時代に相当する。このように、石器時代は日本列島における人類の黎明期と基礎的な文化の形成期を形作る重要な時代区分として位置づけられている。

日本列島における旧石器時代の発見とその意義

第二次世界大戦以前の日本の歴史学および考古学においては、日本列島には縄文時代より古い時代は存在しないというのが定説であった。火山灰が降り積もってできた関東ローム層(赤土の地層)からは、人間の生活痕跡は出土しないと固く信じられていたためである。

しかし、1946(昭和21)年、在野の考古学研究者であった相沢忠洋が、群馬県の岩宿遺跡において関東ローム層中から打製石器を発見した。これを受け、1949(昭和24)年に明治大学の調査団によって本格的な発掘調査が行われ、地層の中から確実な石器の存在が確認された。これにより、日本にも旧石器時代が存在したことが科学的に証明されたのである。この発見は、日本人の起源や日本列島の歴史を数万年規模で遡らせる画期的な出来事であり、日本史研究における最大のパラダイムシフトの一つとなった。

自然環境の変動と石器の進化

石器時代の人々は、地球規模の気候変動に合わせて石器を改良し、生活様式をダイナミックに変化させてきた。寒冷な旧石器時代には、ナウマンゾウやオオツノジカなどの大型獣を狩猟するため、ハンドアックス(握槌)やナイフ形石器、槍の先端につける尖頭器(ポイント)などが使用された。また、旧石器時代の末期には、木や骨の溝に埋め込んで使う小型の細石器(マイクロリス)が登場し、より効率的な狩猟が行われるようになった。

約1万年前に氷河期が終わり、現在に近い温暖な気候になると、海面が上昇して日本列島が形成され、植生も大きく変化した。この環境変化に適応するため、人々は弓矢を発明してすばしっこい中・小型獣(イノシシやシカなど)を狩り、木の実をすりつぶすための石皿やすり石、木を伐採・加工するための磨製石斧などを発達させた。さらに、食物の煮炊きや貯蔵を可能にする縄文土器が出現したことで食糧事情が飛躍的に安定し、竪穴住居による定住化が進展したのである。

金属器の伝来と石器時代の終焉

紀元前4世紀頃(近年の年代測定では紀元前10世紀頃まで遡る説もある)、ユーラシア大陸から九州北部に水稲農耕とともに青銅器鉄器がほぼ同時に伝来し、日本列島は弥生時代へと移行した。伝来当初、貴重であった鉄器は主に工具や武器として用いられ、農具としては依然として石包丁などの石器が使われていた。

しかし、鉄器の生産技術が普及するにつれて、より鋭利で耐久性に優れた鉄製の農具や工具が一般化し、石器は次第にその実用性を失い消滅していった。金属器への移行は、農業生産力の飛躍的な向上をもたらすと同時に、余剰生産物の蓄積による貧富の差や身分階級を生み出し、やがて強大な権力を持つ国家の形成へとつながっていく。つまり、石器時代の終焉は、単なる道具の材質の変化にとどまらず、平等な採集社会から階級を伴う農耕社会への根底的な転換を意味しているのである。

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