珍島 (ちんど)
1270年〜1271年
【概説】
朝鮮半島南西部に位置する島。モンゴル(元)の侵攻に対し、高麗の軍事組織である三別抄が対蒙妥協路線をとる高麗王府に反旗を翻し、抵抗の拠点とした地。
三別抄の反乱と珍島遷都
高麗の武臣政権における精鋭兵力であった三別抄は、高麗王室がモンゴル(元)に降伏して開京(現在の開城)へ還都することに強く反対した。1270年、彼らは独自の王を擁立して反旗を翻し、それまでの拠点であった江華島から南方の珍島へと移った。珍島は朝鮮半島南西部の海上交通を掌握する要衝であり、背後に広がる豊かな全羅道地域の物資や税収を自らの支配下に置くことで、開京の高麗政府に対抗する独立政権を維持することに成功した。
珍島の陥落と日本への波及
珍島の三別抄政権は、日本の鎌倉幕府に対してモンゴルに対抗するための軍事援助を求める国書を送るなど、国際的な連携を模索した。しかし、1271年に蒙古軍と高麗政府軍の連合軍による猛攻を受け、拠点であった竜蔵城は陥落し、指導者の裴仲孫らは戦死した。敗残兵はさらに南の済州島へと逃れて抵抗を継続したが、珍島の陥落によって反乱の趨勢は決定づけられた。この三別抄の敗北は、モンゴルによる朝鮮半島の完全掌握をもたらし、結果として1274年の文永の役(元寇)を本格化させる大きな要因となった。