祇園祭(祇園御霊会) (ぎおんまつり(ぎおんごりょうえ)
【概説】
平安時代に疫病退散を祈願して始まった御霊会を起源とする、京都八坂神社(旧祇園社)の祭礼。怨霊を鎮めるための信仰行事から始まり、のちに京都の町衆の自治と連帯を象徴する豪華な都市祭礼へと発展した。日本三大祭りの一つに数えられ、日本の祭礼文化に多大な影響を与えた歴史的意義を持つ。
御霊信仰の誕生と祇園御霊会の起源
平安時代初期、度重なる疫病の流行や天災は、政争などで非業の死を遂げた者たちの怨霊が引き起こす災いであると信じられていた。これを鎮めて災厄を免れようとする信仰を御霊信仰(ごりょうしんこう)と呼ぶ。貞観11年(869年)、京の都をはじめ全国的に疫病が大流行した際、朝廷は当時の国の数に合わせた66本の矛を神泉苑に立て、牛頭天王(ごずてんのう)を祀る祇園社(現在の八坂神社)の神輿を迎えて災厄退散を祈願した。これが「祇園御霊会」の始まりとされる。
当初の祇園御霊会は、臨時の国家的な祭祀としての性格が強かった。しかし、平安時代中期以降になると、御霊会は恒例の年中行事として定着し、貴族から庶民に至るまで広く信仰を集めるようになっていった。
町衆の台頭と都市祭礼への変容
鎌倉時代から室町時代へと時代が進むにつれ、祇園御霊会は大きな変容を遂げた。それまでの宗教的な神事から、京都の有力な商工業者である町衆(まちしゅう)が主体となって運営する都市祭礼へと発展したのである。町衆は自らの経済力を誇示するように、絢爛豪華な装飾を施した山鉾(やまほこ)を制作し、都を練り歩く山鉾巡行を行うようになった。
応仁の乱(1467~1477年)によって京都の街が荒廃すると、祇園祭も一時中断を余儀なくされた。しかし、明応9年(1500年)には、町衆の強い意志と連帯感によって山鉾巡行が再興された。これは、町衆が守護大名や幕府の支配に対抗し、自治組織を形成していく過程で、祇園祭が彼らの精神的な支柱となっていたことを示している。近世には海外交易によってもたらされた織物などが山鉾の装飾に加えられ、京都の町衆文化の豊かさを象徴する祭りとして今日まで受け継がれている。