陰陽五行思想
【概説】
宇宙や自然界のあらゆる現象を「陰・陽」の2つの気と「木・火・土・金・水」の5つの元素の相互作用によって説明する、中国古代の自然哲学思想。日本には飛鳥時代以前に伝来し、のちに日本独自の宗教・呪術体系である「陰陽道」へと発展する基礎となった思想体系。
陰陽五行説の基本構造と日本への受容
陰陽五行思想は、中国の春秋戦国時代に形成された自然哲学である。万物を明暗、能動・受動などの対立する二極に分類する「陰陽説」と、万物は「木・火・土・金・水」という5つの元素の循環によって変化・流転すると捉える「五行説」が結びついて成立した。日本へは5世紀から6世紀頃、百済から五経博士らによって儒教や易学、暦法などとともに伝来したとされている。
この思想は、単なる概念的な学問にとどまらず、天体の動きや気象の変化から未来の吉凶を予測する実用的な知識として、当時の倭王権(ヤマト政権)の統治者層に深く受け入れられていった。
律令体制における制度化と平安期の陰陽道への展開
飛鳥時代から奈良時代にかけて、律令国家の形成が進むと、陰陽五行思想は国家管理の学問として位置づけられた。天武天皇は、天体観測や吉凶の占い、暦の作成などを行う専門機関として、中務省の配下に「陰陽寮」を設置した。聖徳太子が定めた「冠位十二階」の色の配置や、天武天皇が制定した「八色の姓」の順序などにも、五行思想の影響が強く見られる。
平安時代に入ると、この思想は日本の神道や伝来した密教、土着の民間信仰や怨霊に対する恐れ(御霊信仰)と融合し、独自の発展を遂げた。これが「陰陽道(おんみょうどう)」であり、災厄を避けるための「方違え(かたたがえ)」や「物忌み(ものいみ)」といった儀礼が貴族社会の日常生活を規定するようになり、平安中期には安倍晴明に代表される陰陽師たちが宮廷で大きな影響力を持つに至った。