離洛帖 (りらくじょう)
986年
【概説】
平安時代中期の公卿・書家である藤原佐理が、大宰府へ赴任する途中に自身の非礼や酒の失敗を詫びるため、甥の藤原誠信に書き送った書状。当時の貴族の人間味あふれる私生活を伝えるとともに、日本独自の書風である和様の過渡期を示す極めて貴重な筆跡。
「酒の失敗」を詫びる生々しい釈明状
寛和2年(986年)、藤原佐理は大宰大弐(大宰府の次官、実質的な長官)に任ぜられ、都(洛)を離れて筑前国へと下向することとなった。しかし、佐理は出発に際し、時の関白である藤原頼忠や東宮(のちの三条天皇)ら権力者へのしかるべき挨拶を怠るという重大な不手際を犯してしまう。さらに、旅の途中の摂津国山崎において、自身の不誠実な対応や酒の上での失態を思い出し、深く後悔することとなった。そこで佐理は、宮廷に残る甥の藤原誠信に対し、自分の代わりに各方面へ弁明と謝罪をしてくれるよう懇願する書状を送った。これが『離洛帖』である。格式張った公文書とは異なり、自身のルーズな性格と焦燥感が率直に綴られており、平安貴族の生々しい人間関係を伝える一級の生活史料となっている。
三跡・藤原佐理の書風と美術的価値
藤原佐理は、小野道風・藤原行成とともに平安中期の優れた書家である「三跡」の一人に数えられる人物である。当時は国風文化の隆盛に伴い、中国風の「唐様」から、日本の風土や感性に適した優美な「和様」の書道が確立されつつある時代であった。佐理の書風は、感情の起伏をそのまま表現したかのような、自由闊達で躍動感あふれる草書を特徴とする。『離洛帖』においても、早急に言い訳を伝えたいという焦りからか、筆の運びが極めて速く、墨の濃淡やかすれが豊かな表情を生み出している。実用的な詫び状でありながら、高い芸術性を備えた和様書道の先駆的遺墨として高く評価され、現在は国宝に指定されている。