畿内 (きない)
【概説】
古代の律令制において、首都(都城)の周辺に設定された特別な行政地域。大和・山城・河内・和泉・摂津のいわゆる「五国」を指し、政治や文化のみならず、朝廷の経済基盤を直接支える最重要地域として機能した。
「五畿」の成立と地域的特権
畿内は、中国の律令制における「王畿(皇帝の直轄地)」の思想を導入したものである。天武・持統朝の律令国家形成期に大和・山城・摂津・河内の「四畿(内)」として整備され、のちの霊亀元年(715年)に河内国から和泉監(のちに和泉国となる)が分立したことで、「五畿(五国)」の体制が確立した。五畿は、行政区画である「五畿七道」の筆頭に置かれ、地方を意味する「七道」とは明確に区別された。畿内の住民には課税上の特権があり、調や庸といった税が他国に比べて半減されるなどの優遇措置が取られていた。その一方で、都の警備を担う衛士や、京中の土木事業などに優先的に動員されるなど、都を支える役割を直接担っていた。
平安時代の財政再建と「官田」の設置
平安時代初期、律令制に基づく班田収授法が徐々に機能不全に陥ると、国家財政を維持するために畿内が注目された。延暦21年(802年)、朝廷は畿内の公田(口分田以外の土地)の一部を国家の直営地とする官田(かんでん)を設置した。これは、地子(小作料)を徴収して中央官庁の経費や官人の俸給に充てるものであり、後にさらに規模を拡大して勅旨田(ちょくしでん)なども開発された。畿内は、このように国家の直接的な財政草刈り場となると同時に、貴族や寺社による初期荘園の形成が進むなど、中世的な土地領有の展開においても先進的な地域であった。