桂川甫周 (かつらがわほしゅう)
1751年〜1809年
【概説】
江戸時代中・後期の幕府奥医師であり、高名な蘭学者。杉田玄白や前野良沢らとともに『解体新書』の翻訳作業に従事し、若くして日本の近代医学および蘭学の発展に大きく貢献した人物。
『解体新書』の翻訳と若き奥医師の役割
桂川甫周は、代々幕府の奥医師(外科)を務める名門・桂川家の4代目として生まれた。若くして蘭学の才能を開花させ、前野良沢や杉田玄白らがオランダの解剖書『ターヘル・アナトミア』の翻訳作業を開始した際、わずか21歳の若さでこの事業に参加した。甫周は、語学力に優れた良沢や、熱意あふれる玄白らとともに、未開拓であった和訳作業を精力的にこなした。1774年に刊行された『解体新書』の将軍家への献上にあたっては、幕府の奥医師という彼の身分と人脈が大きな後ろ盾となり、幕府から公式な咎めを受けることなく西洋医学を日本に定着させる上で極めて重要な役割を果たした。
世界情勢の紹介と『北槎聞略』の編纂
甫周の功績は医学の領域に留まらず、地理学や海外事情の紹介など、広範な蘭学の発展に及んだ。江戸に参府したオランダ商館長や、スウェーデン出身の植物学者ツンベルク(チュンベリー)らと積極的に交流し、最先端の西洋科学や世界情勢を吸収した。彼の多才さは、ロシアに漂流した伊勢の船頭・大黒屋光太夫が帰国した際にも発揮された。将軍・徳川家斉への謁見に同席した甫周は、光太夫からの聞き取り調査をもとに、ロシアの地理、制度、風俗などを詳細に記録した『北槎聞略(ほくさぶんりゃく)』を編纂した。これは当時の幕府にとって最高機密のロシア研究書となり、寛政期以降の対外政策(北方警備)の基礎資料として重宝された。