不空羂索観音像(法華堂) (ふくうけんさくかんのんぞう)
【概説】
東大寺最古の遺構である法華堂(三月堂)の本尊として安置されている、奈良時代(天平文化)を代表する仏像。麻布と漆を貼り重ねて造られた大型の脱活乾漆造(だっかつかんしつづくり)の傑作であり、数万個の宝石で彩られた絢爛豪華な宝冠を戴く、天平彫刻の最高峰の一つである。
天平彫刻の到達点――脱活乾漆造の技法と写実美
不空羂索観音像(ふくうけんさくかんのんぞう)は、像高が3.6メートルを超える巨像でありながら、非常に緻密で調和の取れた比例(プロポーション)を保っている。この造形を可能にしたのが、天平時代に流行した脱活乾漆造という技法である。粘土で原型を作り、その上に麻布を漆で何度も貼り重ねて固めた後、背部などを切り開いて中の粘土をすべて掻き出し、木枠を組んで中空にする高度な彫刻技術である。木彫に比べて軽量であり、かつ漆の乾燥を待ちながら細部をモデリングできるため、肉体や衣のひだの非常にリアルで豊かな表現が可能となった。
本像の顔立ちは、理知的でありながらも慈悲深さに満ちており、額には縦に「第三の目」を持つ三目八臂(さんもくはっぴ:3つの目と8本の腕)の異形をとる。このような複雑な多臂(たひ)の構成を破綻なくまとめ上げ、現実的な存在感を持たせる技術力は、当時の官営工房である造東大寺司(ぞうとうだいじし)に属した第一流の技術者(国中連公麻呂らと推定される)の手によるものであることを物語っている。
「不空」の慈悲と鎮護国家の祈り
「不空羂索」という名称の「不空」とは「虚しくない(必ず願いが叶う)」ことを意味し、「羂索」とは鳥獣を捕らえるための投げ縄を指す。すなわち、あらゆる衆生(人々)を一人も漏らさずに救い上げるという、強い慈悲の誓い(本願)を表した観音菩薩である。本像の合掌する二手の間には、かつて救済の象徴である羂索が握られていたとされる。
この信仰が盛んになった背景には、奈良時代中期の政情不安や疫病(天然痘)の流行、度重なる災害があった。聖武天皇は、仏教の力で国家を安定させる鎮護国家の思想を推進し、総国分寺として東大寺を創建した。その中核をなす法華堂(かつては羂索院と呼ばれた)の本尊として本像が造立されたことは、国家的な危機のなかで、一切の衆生を救済せんとした皇室や貴族たちの切実な祈りの結晶であったといえる。
天平工芸の粋を結集した「宝冠」の国際性
不空羂索観音像の頭上を飾る宝冠は、日本工芸史上、最も華麗な金工品の一つとして知られている。銀製の透かし彫りを基盤とし、数万個に及ぶ真珠、翡翠(ひすい)、琥珀(こはく)、瑠璃(ラピスラズリ)などの宝石で装飾されており、中央には純銀製の繊細な阿弥陀如来の化仏(けぶつ)が配されている。
これらの贅沢な意匠と素材の使用は、当時のシルクロードを通じて、唐や西アジア(ササン朝ペルシャなど)の意匠や技術が日本にもたらされていたことを示している。正倉院宝物にも共通するこの国際性豊かな工芸技術は、聖武天皇の治世における天平文化が、きわめて高い水準にあり、ユーラシア規模の文化交流の恩恵を強く受けていたことを現代に伝える極めて貴重な史料である。