小野妹子

重要度
★★★

小野妹子 (おののいもこ)

生没年不詳

【概説】
飛鳥時代、推古天皇や聖徳太子(厩戸王)の命を受け、遣隋使として中国(隋)に派遣された官人。607年に「日出づる処の天子…」で始まる国書を持参したことで知られ、対等な日隋関係の構築に尽力した。後に裴世清を伴って帰国し、翌年再び隋へ渡って多くの留学生・学問僧を引率するなど、日本の国家形成と文化受容に多大な貢献を果たした。

遣隋使抜擢の背景と小野氏の出自

小野妹子は、近江国滋賀郡小野村(現在の滋賀県大津市)を本拠とした豪族・小野氏の出身である。小野氏は和珥(わに)氏や春日氏と同族であり、朝廷において有力な地位を占める家柄ではなかったが、妹子は実務能力や外交感覚に優れていたと推測される。推古天皇・聖徳太子・蘇我馬子らが主導する飛鳥時代の朝廷は、冠位十二階や十七条の憲法を制定して中央集権的な国家体制の構築を目指しており、その一環として先進国である隋(中国)との外交交渉が必要とされていた。妹子はそのような新しい国家づくりの最前線である遣隋使の正使として抜擢されたのである。

607年の遣隋使派遣と「日出づる処の天子」

607年(推古15年)、妹子は遣隋使として隋の都・洛陽に赴き、皇帝の煬帝(ようだい)に謁見した。このとき妹子が持参した国書には、「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙なきや(太陽が昇る東の国の天子が、太陽が沈む西の国の天子に手紙を送ります。お変わりありませんか)」と記されていた。かつて「倭の五王」が中国の王朝に対して臣下として朝貢し、冊封(称号を授かること)を受けていたのに対し、この国書は隋と倭国(日本)が対等な関係であることを主張するものであった。これは独立した主権国家として国際社会に臨もうとする、当時の倭国政権の強い意志の表れであった。

煬帝の激怒と東アジアの国際情勢

中華思想(中国の皇帝こそが世界の唯一の支配者であるという思想)を持つ隋にとって、辺境の君主が「天子」を名乗り、対等な書式を用いたことは無礼極まりないことであった。事実、『隋書』倭国伝には、この国書を見た煬帝が不快に思い、「無礼な蛮族の手紙は二度と見せるな」と役人に命じたと記されている。しかし、煬帝は妹子を直ちに処罰することはなく、むしろ答礼の使者を倭国へ派遣することを決定した。この対応の背景には、当時の緊迫した東アジアの国際情勢がある。当時、隋は朝鮮半島の強国である高句麗との戦争(隋の高句麗遠征)を控えており、背後にある倭国が高句麗と結びつくことを警戒していた。そのため、煬帝は倭国の無礼に目を瞑ってでも、友好的な関係を維持する外交的メリットを選択したのである。

裴世清の来日と再度の渡隋

608年、妹子は隋の使節である裴世清(はいせいせい)を伴って帰国した。この帰路の途中で妹子は隋からの返書(国書)を百済に盗まれる(または紛失する)という失態を演じて流刑に処されそうになるが、推古天皇の恩赦によって直ちに許されている。これは、裴世清の滞在中に外交問題をこじらせないための朝廷の政治的配慮であったとも言われている。その後、裴世清を送り届けるため、妹子は同年のうちに再び遣隋使として渡海した。この渡隋には、高向玄理(たかむこのくろまろ)、南淵請安(みなみぶちのしょうあん)、(みん)といった留学生や学問僧が同行した。彼らは隋やそれに続く唐で長期間学問を修め、後に帰国して大化の改新などの日本の政治・制度改革に多大な影響を与えることになる。

小野妹子の歴史的意義

小野妹子は、日本の歴史上初めて、中国の巨大帝国に対して対等な外交関係を要求し、それを実質的に成功させた人物として極めて重要な位置を占めている。彼自身の功績も朝廷に高く評価され、冠位十二階の最高位である「大徳」にまで昇進したとされる。妹子が切り拓いた日隋の交流ルートと、彼が引率した留学生たちがもたらした大陸の先進的な制度・文化は、その後の飛鳥時代から奈良時代にかけての律令国家形成の重要な原動力となった。単なる使者にとどまらず、日本の古代国家が東アジア世界において確固たる地位を築くための足がかりを作った外交官として、その名は日本史に深く刻まれているのである。

聖徳太子 (岩波新書 新赤版 769)

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日本古代国家形成史の研究 制度・文化・社会

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日本史一問一答(ランダム)

Q. 江田船山古墳出土鉄刀に用いられている、鉄の表面に溝を彫って銀をはめ込み、文字を表す金属工芸の技法を何というか?
Q. 飛鳥時代、高句麗の僧である曇徴によって、日本に初めてその製造方法が伝えられたとされる文房具(2つ)は何か?
Q. 鞍作鳥(止利仏師)が聖徳太子の病気平癒や冥福を祈って制作したとされる、北魏様式を代表する法隆寺金堂の金銅仏は何か?