四神

重要度
★★

四神 (ししん)

【概説】
古代中国の陰陽五行説に由来する、天の四方の方角を司り守護するとされた4種の霊獣。東の青龍(せいりゅう)、西の白虎(びゃっこ)、南の朱雀(すざく)、北の玄武(げんぶ)からなり、飛鳥時代の終末期古墳の壁画や、古代の都城計画に大きな影響を与えた思想的シンボル。

四神思想の起源と日本への流入

四神の信仰は、中国の戦国時代から前漢にかけて形成された陰陽五行説や天文学と深く結びついている。天球を天の赤道帯に沿って四つの配分に分け、それぞれの方向にある星群を東の青い龍(青龍)、西の白い虎(白虎)、南の赤い鳥(朱雀)、北の亀に蛇が巻き付いた獣(玄武)の姿に見立てて神格化したものである。

日本へは、6世紀から7世紀(古墳時代後期から飛鳥時代)にかけて、仏教や暦法、道教的な思想とともに、朝鮮半島の高句麗や百済、あるいは中国の隋・唐から伝来した。古代の日本人は、これらの外来思想を国家や支配者の権威を荘厳するための最新のシステムとして積極的に受容したのである。

古墳壁画に描かれた四神:高松塚とキトラ

四神の存在を今日に伝える最も代表的な史料が、奈良県明日香村に所在する飛鳥時代終末期の2つの国営古墳(壁画古墳)である。7世紀末から8世紀初頭に築造されたとされる高松塚古墳キトラ古墳の石室内には、色彩豊かな四神の壁画が描かれている。

高松塚古墳では、北壁の玄武、東壁の青龍、西壁の白虎が確認されているが、南壁はかつての盗掘によって破壊されたため、朱雀の壁画は失われている。一方、キトラ古墳では東の青龍、西の白虎、南の朱雀、北の玄武の四神すべてが揃った状態で発見された。これらは、被葬者の冥福を祈るとともに、墓室(石室)の内部を宇宙に見立て、四神によって邪気を払い、被葬者の魂を守護する意図があったと考えられている。特に天井に描かれた天文図や、四神の下に描かれた十二支像などと一体になり、東アジア共通の宇宙観を表す一級の文化史料となっている。

都市計画における「四神相応」の受容

四神の思想は、死者の埋葬空間だけでなく、生者が暮らす政治の中心地である「都城」の建設にも応用された。背後に山、前方に平地や湖沼、左右に川や道が配された土地が「四神相応(ししんそうおう)」の吉地とされ、そこに都を築くことで国家の永遠の繁栄が約束されると信じられた。

具体的には、北(玄武)に山岳、東(青龍)に流水、南(朱雀)に池沼、西(白虎)に大路がある地形が理想とされ、代表例として平安京が挙げられる。平安京の北には船岡山(玄武)、東には鴨川(青龍)、南には巨椋池(朱雀)、西には山陰道(白虎)が位置し、この四神相応の思想に基づいて遷都が行われたという解釈が後世(特に中世以降)に定着した。このように、四神は古代日本における空間認識や都市建設、精神世界を規定する極めて重要な役割を果たしたのである。

装飾古墳の謎 (文春新書 1390)

古代の人々が石室に込めた呪術的な意匠と精神世界を解き明かす、装飾古墳の深淵に触れる一冊。

古墳時代の装身具 日本の美術 (No.371)

大陸文化の影響を受けつつ独自に開花した古墳時代の装身具、その華麗なる造形美と歴史的背景を紐解く書。

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Q. 氏姓制度において、臣(おみ)、連(むらじ)、伴造(とものみやつこ)などのように、ヤマト政権が豪族に与えた地位や職務を示す称号を何というか?
A.
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