額田王 (ぬかたのおおきみ)
【概説】
飛鳥時代から白鳳時代にかけて活躍した、初期『万葉集』を代表する伝説的な宮廷歌人。天智天皇・天武天皇(大海人皇子)の兄弟双方から寵愛されたことで知られ、その情熱的かつ気品あふれる歌風は、初期万葉文学の最高峰と評される。
天智・天武両天皇をめぐる宮廷のロマンスと複雑な出自
額田王は鏡王(かがみのおおきみ)の娘と伝えられるが、その出自や生涯には謎が多い。若き日は大海人皇子(のちの天武天皇)に愛され、のちに大友皇子の妃となる十市皇女(とおちのひめみこ)を産んだ。しかし、その後は大海人皇子の兄である中大兄皇子(のちの天智天皇)の後宮に召されたとされる。この兄弟の間で揺れ動いたとされる複雑な愛憎関係は、のちの壬申の乱(672年)という皇位継承をめぐる大乱の背景にある、兄弟間の心理的葛藤の象徴として、後世の文学や歴史ロマンにおいてしばしば取り上げられてきた。
当時の皇室における婚姻関係は政治的な意味合いが強く、額田王の存在もまた、単なる恋愛関係にとどまらず、天智・天武両政権における宮廷内の権力構造や、王族間の結束・反目を映し出す鏡であったと考えられている。
蒲生野の贈答歌とその歴史的背景
額田王の名を不朽のものにしているのが、668年に天智天皇が催した近江の蒲生野(がもうの)での薬猟(くすりがり)の際に交わされた、大海人皇子との贈答歌(相聞歌)である。
額田王が「あかねさす紫野行き標野(しめの)行き野守は見ずや君が袖振る」と詠み、立ち入り禁止の御料地(標野)で自分に向けて袖を振る大海人皇子の軽率な行動をたしなめつつも、高鳴る心を表現した。これに対し、大海人皇子は「紫の匂へる妹(いも)を憎くあらば人妻ゆゑにわれ恋ひめやも」と返し、人妻(天智天皇の妃)となった彼女への断ち切れぬ情熱を歌い上げた。この劇的なやり取りは、かつては二人の不倫の恋を示す実話と受け止められていたが、現在では宮廷の宴席における一種の即興的な言葉遊び(風流なパフォーマンス)であったという説が有力である。しかし、このような緊張感ある演劇的空間が成立するほどに、当時の宮廷社会における歌が重要なコミュニケーションツールであったことを示している。
宮廷歌人としての自立と白鳳文化への貢献
額田王は私的な恋愛歌だけでなく、天皇の代理として神を祀る国見の歌や、行幸に際して詠む公的な宮廷歌人(唱和の先導役)としての重責も担っていた。彼女の歌風は、素朴な万葉初期の調べを残しながらも、巧みな対句法や色彩豊かな比喩(「あかねさす」「紫」など)を用い、非常に洗練された高い芸術性を誇っている。
彼女が活躍した白鳳時代は、律令国家の形成期であり、大陸からの仏教文化や法制度が本格的に導入された過渡期であった。額田王の歌は、それまでの神話的・集団的な歌謡から、個人の内面や抒情性を重視する文学への発展を告げるものであり、のちに『万葉集』の歌聖と呼ばれる柿本人麻呂らに決定的な影響を与えた。国家の形成期において、日本語の美しさと表現力を極限まで高めた彼女の文学的功績は極めて大きい。