位田 (いでん)
【概説】
飛鳥時代後期から奈良・平安時代の律令制下において、五位以上の貴族に対してその位階に応じて支給された田地。官位相当制に基づき、貴族階級の経済的特権を保障するために設けられた給田の一種である。
律令制における位田の規定と身分格差
大宝律令(701年)や養老律令(757年施行)などの律令法において、土地は原則として国家のものであるとする公地公民制が敷かれた。しかしその一方で、貴族層にはその身分を維持するための様々な特権的給与が認められていた。その代表例が「給田(きゅうでん)」であり、中でも五位以上の「貴(き)」と呼ばれる高位の貴族に支給されたのが位田である。
位田の支給面積は、階級によって厳格な格差が設けられていた。例えば、最高位である正一位には80町、従一位には74町が与えられたのに対し、貴族の最下層である従五位下には8町が与えられるといった具合である。六位以下の一般官人(通称「通」)には位田が支給されず、代わりにより面積の少ない「職田(しきでん)」などが官職に応じて支給された。このように、位田は単なる労働の対価ではなく、保有する「位階」そのものに付随する特権であり、貴族の家格を維持するための極めて重要な経済基盤であった。
輸租田から不輸租田への変遷と荘園制への影響
律令の原則において、位田は国家に税(租)を納める義務がある輸租田(ゆそでん)として規定されていた。位田を与えられた貴族は、その土地を自ら耕作するわけではなく、公の区分田と同じように百姓(浮浪人なども含む)に賃租(賃貸)し、そこから得られる地子(小作料)を自らの収入とした。この際、収穫の一部を「租」として国衙(地方官衙)に納める必要があった。
しかし、平安時代に入り律令支配体制が弛緩し始めると、中央の有力貴族たちは政治的影響力を背景に、自らの位田を税が免除される不輸租田(ふゆそでん)へと変更させる手続き(太政官符や民部省符の発給)を行うようになった。この位田の不輸租化は、地方の国衙による税の徴収から事実上独立することを意味した。これがのちに、地方の有力者が土地の税逃れのために中央の権門勢家に土地を寄進する「寄進地系荘園」へと発展する土壌となり、中世の荘園公領制を形成する契機の一つとなったのである。