良民 (りょうみん)
【概説】
古代日本における律令制の身分制度において、賤民(せんみん)以外のすべての自由民を指す総称。戸籍に登録されて国家から口分田を支給される権利を持つ一方、租・庸・調などの重い税負担や兵役の義務を負うことで、律令国家の財政・軍事基盤を支えた。
「良賤の法」と良民を構成する諸階層
大化の改新から大宝律令の制定にいたる過程で、律令国家は人民を支配・管理するために、全人民を「良民」と「賤民」の2つに大別する身分制度(良賤の法)を整備した。良民は、法的に自由人としての権利と義務を有する身分であり、その構成は一様ではなかった。
良民の最上位には、天皇を中心とする貴族や官人(官僚)が位置していたが、その大多数を占めたのは一般の農民である公民(天下の公民)であった。また、かつての部民制の名残をとどめ、朝廷に特定の技術や労働を提供する品部(しなべ/ともべ)や雑戸(ざっこ)なども、法的には良民に分類された。これらは賤民と異なり、家族を構成して独自の戸を構え、人格権を認められた存在であった。
国家財政の基盤としての役割と班田収授
良民、とりわけ大部分を占める公民は、律令国家が実施した班田収授法の対象となった。国家が作成した戸籍に基づき、6歳以上の良民(男女)には口分田が与えられ、その一代限りの耕作が認められた。しかし、これは手厚い保護であると同時に、徹底した課税の前提でもあった。
良民の男丁(17〜65歳)には、口分田の収穫から徴収される「租」だけでなく、都での労役に代わる布などを納める「庸」、郷土の特産物を納める「調」が課された。さらに、地方官衙での労働である「雑徭」や、国家の軍事力を支える兵役(一部は防人や衛士となる)など、極めて重い負担が課されていた。このように、良民は国家の経済的・軍事的な基盤そのものであった。
良賤交婚による身分秩序の動揺と崩壊
律令秩序を維持するため、良民と賤民の通婚(良賤交婚)は原則として禁止されていた。しかし実際には、生活の困窮から良民が賤民と交わったり、自ら身分を偽って賤民の家に身を寄せたりする事例が相次いだ。当時の法では「子の身分は母親の身分に従う(当色を従う)」、あるいは「父母の一方が賤民であれば子は賤民となる」と規定されていたため、良賤交婚の結果として生まれる子はすべて賤民とされた。これは、国家にとっては課税対象である良民(公民)の減少を意味した。
こうした事態に対処するため、国家は8世紀後半(789年)に、良民の男と賤民の女の間に生まれた子は良民とする「良男賤女の法」を定めるなど、良民の確保に努めた。しかし、9世紀から10世紀にかけて、戸籍に基づく人民支配そのものが形骸化し、王朝国家体制へと移行するなかで良賤の区分の意味合いは薄れ、やがて律令制の崩壊とともに「良民」という身分概念も消滅へと向かった。