陵戸 (りょうこ)
【概説】
古代の律令制下における身分制度において、「五色の賤」の一つに数えられた賤民身分。天皇や皇族の陵墓(墓所)の守衛や清掃、維持管理を世襲で担当した。一般の良民に近い特権的な側面を持ち、のちの律令制の変質に伴って良民へと統合されていった。
律令体制における「五色の賤」と陵戸の法的位置づけ
大宝律令(701年)および養老律令(718年)において、人々の身分は自由民である「良民(りょうみん)」と、非自由民である「賤民(せんみん)」に大別された。このうち賤民は5つのカテゴリーに分類され、これを「五色の賤(ごしきのせん)」と呼ぶ。陵戸はこの五色の賤の中で、官有の賤民(官賤)の最上位に位置づけられていた。
陵戸は、同じく官賤に属する官戸(かんこ)や公奴婢(くぬひ)、また私賤である家人(けにん)や私奴婢(しぬひ)と異なり、完全に他者の所有物として使役される存在ではなかった。独自の戸(家族共同体)を構えることが認められており、その点では良民に近い生活実態を持っていた。しかし、良民との婚姻(良賤通婚)は原則として禁じられており、身分は世襲されるなど、法的な格差は厳然として存在した。
陵墓管理という国家任務とその特権
陵戸の主な任務は、天皇や皇族の陵墓の守衛や清掃であり、これは治部省に属する諸陵司(のちの諸陵寮)の管轄下に置かれていた。古代律令国家にとって、歴代天皇の陵墓を神聖なものとして維持管理することは、天皇の支配の正当性や権威を示す極めて重要な国家事業であった。そのため、陵戸は国家から直接指定された神聖な任務を帯びる者として扱われた。
この特殊な役割ゆえに、陵戸には一定の特権が与えられていた。彼らは口分田(くぶんでん)を良民と同額(男子に二段など)支給され、さらに一般の良民に課せられた重い税負担である租・庸・調や雑徭(ぞうよう)などの課役が原則として免除されていた。こうした優遇措置は、彼らが陵墓の守衛に専念できるようにするためのものであった。
律令社会の変容と陵戸の良民化
奈良時代中期以降、律令支配の弛緩に伴い、良民の没落や浮浪・逃亡が深刻化すると、重い課役から逃れるために自ら陵戸に偽籍(戸籍を偽ること)する者が現れるなど、制度的な動揺が見られるようになった。また、特定の家系に管理負担が集中することへの不満も高まっていった。
こうした状況を受け、平安時代初期の延暦19年(800年)、桓武天皇のもとで陵戸の身分は廃止され、彼らは一斉に良民へ編入(良民化)されることとなった。これは、国家が陵墓の維持方法を特定の賤民の世襲から、周辺の良民(近陵の住民など)に交代で守衛任務を課す方式(守戸制度など)へと移行させたことを意味している。この陵戸の廃止は、古代国家の身分秩序が形骸化し、中世的な社会秩序へと移行していく過渡期の象徴的な出来事であった。