倭の五王

重要度
★★★

【参考リンク】
倭の五王(Wikipedia)

倭の五王 (わのごおう)

413年〜478年

【概説】
5世紀に中国の南朝へ使節を派遣し、朝貢を行った5人の倭国(日本)の王(大王)。『宋書』倭国伝などに記録されている「讃・珍・済・興・武」の5名を指す。緊迫する東アジアの国際情勢の中で、朝鮮半島における政治的・軍事的優位性を確保するため、中国王朝との間で意図的に冊封関係を結んだ。

『宋書』に記された5人の倭王

倭の五王とは、5世紀に中国の南朝へ使節を派遣し、朝貢を行った5人の倭国の王の総称である。主に中国の歴史書である『宋書』倭国伝に記録されており、その名は讃(さん)、珍(ちん)、済(せい)、興(こう)、武(ぶ)と記されている。彼らの遣使は、東晋時代の413年から宋時代の478年まで、約半世紀にわたって断続的に行われた。

これら5人の王が『日本書紀』や『古事記』に記された歴代天皇の誰に該当するか(比定)については古くから議論がある。現在では一般的に、済を允恭天皇、興を安康天皇、武を雄略天皇とする説が有力である。一方で、讃については応神天皇または仁徳天皇、珍(『梁書』などでは彌)については反正天皇または仁徳天皇とするなど諸説が存在している。いずれにせよ、彼らは5世紀におけるヤマト王権の君主たちであった。

朝貢の背景:緊迫する東アジア情勢と高句麗の南下

倭の五王が中国の南朝へ盛んに使節を送った最大の理由は、朝鮮半島における政治的・軍事的な優位性を確保するためであった。4世紀末から5世紀にかけて、朝鮮半島北部から満州にまたがる強国・高句麗が南下政策を強力に推進していた。広開土王(好太王)や長寿王の時代、高句麗は百済や新羅を圧迫し、倭国も半島において高句麗軍と激しく交戦したことが「広開土王碑」の碑文などから確認できる。

当時の倭国にとって、武具や農具の材料となる鉄資源の安定的な確保は国家の死活問題であり、半島南部(加耶地域)とのつながりを維持し続ける必要があった。そこで倭国の王たちは、大国である中国の皇帝から爵位や将軍号を与えられること(冊封を受けること)で、自らの国際的な地位を高め、高句麗に対抗しようとしたのである。

冊封体制下の外交戦略と将軍号

倭の五王は、中国の皇帝に対して「使持節都督倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事」といった長大な称号を自称し、朝鮮半島諸国に対する軍事的な支配権を公式に承認するよう求めた。中国側(宋)は、百済に対する支配権は認めなかったものの、倭国および半島南部の一部地域に関する軍事的な権限を認め、「安東将軍」や「安東大将軍」などの称号を授与した。

このように、実質的な支配が及んでいるか否かにかかわらず、中国王朝の権威を借りて周辺諸国に対する優位性を主張する外交戦略は、当時の東アジアにおける典型的な国際関係のあり方であった。倭の五王は、この東アジアの冊封体制に積極的に組み込まれることで、自国の不利益を防ぎ、国益を最大化しようと試みたのである。

「倭王武の上表文」と国内統一の進展

倭の五王の遣使の中でも、とりわけ重要な史料が、478年に倭王武(雄略天皇)が宋の順帝に奉った上表文(皇帝への公式な書状)である。この上表文には、「昔から祖先は自ら甲冑を身に着け、山川を跋渉して休む暇もなく、東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国、渡って海北を平らげること九十五国」と記されている。

これは、ヤマト王権が東国(毛人)や西国(衆夷=熊襲など)、さらに海を渡って朝鮮半島(海北)へと軍事遠征を行い、国内統合を進めていった過程を、中華の皇帝に向けて誇張を交えながらドラマチックに伝えたものである。実際、埼玉県の稲荷山古墳出土鉄剣や熊本県の江田船山古墳出土鉄刀に刻まれた「ワカタケル大王(雄略天皇)」の銘文からも、5世紀後半にはヤマト王権の支配権が関東から九州に至る広範囲に及んでいたことが裏付けられている。

歴史的意義:ヤマト王権の確立期を照らす光

倭の五王の時代は、文字記録の乏しいいわゆる「空白の4世紀」を経て、ヤマト王権が国内における絶対的な支配者としての地位を固め、世襲による王位継承を確立していく重要な過渡期にあたる。国内では絶対的な「治天下大王」として君臨しつつ、対外的には中国皇帝の忠実な臣下として振る舞うという二面性は、この時代の日本独自の国家形成の特質をよく表している。

日本国内に同時代の文献史料がほとんど残されていないこの時期において、中国の正史に記録された倭の五王の動向は、5世紀の日本の政治情勢や外交関係を復元するための第一級の基本史料となっている。倭の五王による朝貢外交は6世紀に入ると途絶えるが、ここで培われた東アジアにおける国際感覚や外交経験は、のちの飛鳥時代における遣隋使や遣唐使といった、新たな形での対中外交へと引き継がれていくこととなる。

倭の五王 – 王位継承と五世紀の東アジア (中公新書)

五世紀の倭王たちが直面した王位継承の政治的課題と、激動の東アジア情勢における外交戦略を鮮やかに解き明かす一冊。

野中古墳と「倭の五王」の時代 (大阪大学総合学術博物館叢書 10)

出土品の精緻な分析から、野中古墳の被葬者と倭の五王との関わりを浮き彫りにし、古代社会の深層に迫る画期的な研究書。

日本史一問一答(ランダム)

Q. 氷河期の寒冷な気候に適応して進化し、弥生時代以降に大陸から日本列島へ渡来して現代の日本人のベースとなった集団を何というか?
Q. 天武天皇が編纂を命じ、その死後の689年に持統天皇によって施行された、律令国家の骨格を定めた初期の「令」は何か?
Q. 縄文土器の型式の変化を基準にして、縄文時代を年代順に6つに細分化した区分をすべて答えよ。