飛鳥浄御原令

重要度
★★

飛鳥浄御原令 (あすかきよみはらりょう)

689年施行

【概説】
飛鳥時代後期、天武天皇の命によって編纂が開始され、持統天皇の時代の689年に施行された行政法規(令)。日本における律令国家形成の過渡期に位置づけられる、確実なものとしては国内最古の系統的法典。

天武・持統朝における律令編纂の背景

壬申の乱(672年)を勝ち抜いて即位した天武天皇は、強力な専制君主(天皇)を中心とする中央集権的な律令国家の建設を目指した。そのためには、従来の豪族連合的な支配体制を脱却し、成文化された法典に基づく官僚制的な統治を確立することが不可欠であった。天武天皇は681年、草壁皇子や忍壁親王らに律令の編纂を命じたが、天武の在世中に完成を見ることはなかった。その後、天武の皇后であった鸕野讚良(うののさらら)皇女が持統天皇として即位し、その遺志を継いで689(持統3)年に「飛鳥浄御原令」として施行するに至った。

画期となった「庚寅年籍」の作成と官制整備

飛鳥浄御原令は、刑法にあたる「律」を伴わず、行政組織法や民法にあたる「令」全22巻のみが施行されたと考えられている。この令の施行に基づき、翌690(持統4)年には庚寅年籍(こういんねんじゃく)と呼ばれる戸籍が作成された。この戸籍の完成により、人民を国家の直接支配下に置く「公地公民制」の実質的な基盤が整い、のちの班田収授の法を全国規模で実施することが可能となった。

また、官制面においては、太政官や神祇官といった中央統治機構の骨格が形成され、地方行政区分としての「国・評(こおり)」の制度も整備された。さらに、それまでの複雑な冠位制度を再編した冠位二十六階が制定されるなど、豪族たちを天皇に奉仕する官僚へと組み込むシステムが具体化された。

律令国家完成(大宝律令)へのマイルストーン

これより以前の天智天皇期に制定されたとされる「近江令」については、その実在性や内容を巡って古来より学術的な論争が続いている。これに対して飛鳥浄御原令は、文献史料(『日本書紀』など)から実際に施行され、国家の基本法として機能したことが学術的に確実視される最初の法典である。

この令による統治実績と制度の運用経験が蓄積されたことで、のちに刑法(律)と行政法(令)を完備した大宝律令(701年)の制定へとつながることになる。飛鳥浄御原令は、古代日本が東アジアの国際社会に対応しうる独自の律令国家へと脱皮する過程における、極めて重要な過渡期の法体制であったと言える。

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