隅田八幡神社の人物画像鏡 (すだはちまんじんじゃのじんぶつがぞうきょう)
443年または503年
【概説】
和歌山県の隅田八幡神社に伝来する、古墳時代中期から後期にかけての青銅製の鏡。鏡背に刻まれた48文字の銘文は、当時の倭王権の動向や漢字受容の過程を解き明かす極めて重要な金石文史料である。
「癸未年」の解釈と男弟王をめぐる政治史的背景
銘文の冒頭に記された「癸未(きび・みずのとひつじ)年」が西暦何年にあたるかについては、古くから443年説(允恭天皇期)と503年説(継体天皇期)の2説が提唱され、激しい学説論争が繰り広げられてきた。近年では、銘文中に登場する「男弟王(おおとのみこ)」を、のちの継体天皇(男大迹王)に比定する503年説が有力視されている。この説に従えば、即位前の継体天皇が大和朝廷において実力を持っていたことや、紀伊地方の地方豪族と密接な関係を築いていたことを示す貴重な政治史料となる。
古代日本語表記の誕生と金石文としての価値
この銅鏡は、埼玉県稲荷山古墳出土の鉄剣銘や熊本県江田船山古墳出土の鉄刀銘などと並び、日本古代における文字使用の初期段階を示す国宝級の史料である。銘文には、中国の古典(漢文)をそのまま用いるのではなく、漢字の音を借りて倭人(日本人)の人名や地名といった固有の名詞を表記しようとする、のちの万葉仮名の先駆的な表現が見られる。また、製作に関わったとされる「開中費直(かわちのあたい)」などの渡来系氏族の活動も窺え、当時の先進技術や文字文化が渡来人によってもたらされた実態を証明している。