千字文 (せんじもん)
【概説】
重複しない1000の漢字を4文字1句の韻文にまとめた中国の習字・漢字初等教科書。百済の渡来人である王仁によって、『論語』とともに日本に伝来したと記紀に記されている初期の文字史料。
王仁の渡来伝承と文字文化の黎明
『日本書紀』や『古事記』の伝承によれば、千字文は応神天皇の時代(5世紀初頭頃)に、百済から日本へと帰化した学者・王仁(わに)によって、『論語』10巻とともに日本にもたらされた。これが日本に漢字や儒教の経典が組織的に伝来した端緒とされている。王仁の子孫は西文氏(かわちのふみうじ)として大和朝廷に仕え、文字や計算などの知識を活かして、外交文書の作成や財政管理などの実務官僚として活躍した。
成立年代をめぐる矛盾と文献学的意義
歴史研究において、記紀に記された王仁の伝来時期と、千字文の成立年代との間には明らかな矛盾が存在する。現在に伝わる千字文は、6世紀前半の南朝・梁の武帝のもとで周興嗣(しゅうこうし)が編纂したものとされる。したがって、5世紀初頭の王仁がこれを持参して渡来したとする話は、後世の歴史家たちによって創作された伝承である可能性が高い。しかし、実際の伝来が6世紀以降であったとしても、この書物が古代日本において漢字の普及や実務階級の識字教育に長く大きな役割を果たしたことには変わりなく、渡来人が果たした文化的貢献を象徴する重要な存在となっている。