濠(堀)

重要度
★★

濠(堀) (ほり)

3世紀中頃〜7世紀頃

【概説】
古墳時代における首長(豪族)の居館の周囲に巡らされた、防御や区画のための溝。水が張られた「水濠(すいごう)」であることが多く、軍事的な防衛機能だけでなく、首長の政治的・宗教的権威を周囲に示す象徴的な役割も担っていた。

弥生時代の環濠集落との相違点

日本列島における濠の歴史は、弥生時代に定着した環濠集落にさかのぼる。弥生時代の環濠は、共同体(集落全体)を外敵や野生動物の襲撃から守るための共同防衛施設であった。これに対し、古墳時代の「濠」は、集落全体ではなく特定の首長(豪族)の居館のみを方形に囲い込む点に大きな特徴がある。これは、共同体の中から明確な支配階層が台頭し、一般民衆との間に身分秩序や階層の差が生じたことを考古学的に裏付ける重要な証拠である。

防衛機能と視覚的威信の演出

豪族居館の周囲に巡らされた濠は、敵の侵入を防ぐ軍事的な防衛施設として機能した。特に深く水を湛えた水濠は、物理的な障壁として高い効果を発揮した。しかし、近年の考古学的研究では、単なる実用的な防衛機能にとどまらず、居館を厳重に囲い込むことで、首長の高貴さや特権性を周囲の民衆や他の豪族に視覚的に誇示する権威の象徴(威信装置)としての意味合いが強かったと指摘されている。濠の内側にはしばしば、政治を行う政庁や祭祀の空間、大規模な高床倉庫群が配置され、地域の政治的中心地としての威厳を放っていた。

代表的遺跡と具体的な構造

古墳時代の濠を伴う豪族居館の具体例として、5世紀(古墳時代中期)の代表的な遺跡である群馬県の三ツ寺Ⅰ遺跡(みつでらいせき)が挙げられる。この遺跡では、約86メートル四方の正方形の区画が、幅約30〜40メートルに及ぶ巨大な空濠および水濠で囲まれていた。濠の内部からは、祭祀用とみられる石製模造品(滑石製品など)が出土する空間や、首長の居住域、物資を蓄える倉庫群が確認されており、濠が「内(聖・支配)」と「外(俗・被支配)」を分かつ強固な境界線としても機能していたことが明らかになっている。

日本の古代遺跡を掘る 5

発掘調査の知見から古代日本の土木技術や社会の変遷を紐解く貴重な記録。

日本古代宮都と中国都城 (43) (同成社古代史選書 43)

中国都城との比較を通じて日本古代宮都の構造と理念を鮮やかに解き明かす研究書。

日本史一問一答(ランダム)

Q. 弥生時代の四隅突出型墳丘墓などの独自の文化を持ち、ヤマト政権に服属する過程が神話として描かれている島根県東部の地域を何というか?
Q. 円筒埴輪に続いて出現した、家屋や武器、馬、巫女や武人などをかたどった埴輪を総称して何というか?
Q. 3世紀後半に畿内(大和)を中心として成立し、各地の豪族を束ねて列島の広範囲を支配した政治連合体を何というか?