新沢千塚古墳群

高校日本史的重要度
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新沢千塚古墳群 (にいざわせんづかこふんぐん)

4世紀後半〜6世紀後半

【概説】
奈良県橿原市に位置する、日本最大規模を誇る古墳時代の中後期群集墳。5世紀後半に築かれた126号墳から出土したペルシャ製ガラス碗をはじめ、国際色豊かな極めて貴重な副葬品で知られる遺跡。

巨大群集墳としての新沢千塚

新沢千塚古墳群は、奈良盆地の南部に位置する貝吹山から派生する丘陵地に展開しており、総数約600基からなる日本を代表する群集墳である。古墳時代の中期(5世紀前半)から後期(6世紀後半)にかけて、約150年以上にわたり絶え間なく築造され続けた。前方後円墳や方墳、円墳など多様な墳形が見られ、その規模や配置から、大和朝廷(ヤマト政権)を支えた在地の中小豪族や、先進技術を携えて渡来した渡来系集団が葬られた階層的な共同墓地であったと考えられている。

126号墳の副葬品が示す東西文化の交流

本古墳群の中で最も著名なのが、5世紀後半に築造された方形墳である126号墳である。ここから出土した副葬品は、当時の国際交流の規模を示す第一級の史料として国の重要文化財(後に国宝)に指定されている。特に注目されるのが、ササン朝ペルシア製とされるカットグラス(割子碗)や、ローマ帝国領内(東地中海沿岸)で制作されたと推測される青色丸底ガラス皿である。これらは、遠くシルクロードを経由して日本列島までもたらされたものであり、当時の大和朝廷が有していた国際的な外交ルートと、大陸・半島の文化に対する高い受容性を示している。

最終更新:
2026年6月13日 @ 06:43

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