龍角寺岩屋古墳 (りゅうかくじいわやこふん)
【概説】
千葉県印旛郡栄町から成田市にまたがる龍角寺古墳群に所在する、古墳時代終末期を代表する巨大な方墳。一辺約78メートル、高さ約13.2メートルという東日本最大級の規模を誇り、古代東国における有力首長の動向や、国家形成期における畿内政権との政治的関係を示す重要な遺跡である。
東日本最大、全国屈指の規模を誇る終末期方墳
龍角寺岩屋古墳(龍角寺105号墳)は、100基以上の古墳から構成される龍角寺古墳群のほぼ中央に位置している。7世紀前半(古墳時代終末期)に築造された本古墳は、一辺約78メートル、高さ約13.2メートルを測る3段築成の方墳である。この規模は東日本で最大であり、全国的に見ても奈良県橿原市の桝山古墳(一辺約85メートル)などに匹敵する、終末期方墳として最大級の大きさを誇る。
内部の主体部は、南側に開口する横穴式石室である。この石室は、前室と玄室からなる複室構造を持ち、筑波山周辺から運ばれたとみられる雲母片岩のほか、地元で産出する木下貝層(きのしたかいそう)の貝殻石灰岩(ソフトストーン)を切り出して緻密に積み上げている。このような高度な石工技術と畿内風の設計は、当時の最先端技術が東国へ導入されていた事実を証明している。
印波国造と「古墳から寺院へ」の歴史的転換
龍角寺岩屋古墳の被葬者としては、大化の改新前夜の時代に印旛沼周辺一帯を支配していた有力豪族印波国造(いんばのくにみやつこ)の一族が有力視されている。大王(天皇)の墓制が前方後円墳から方墳へと移行した時期に、地方首長もそれに呼応して巨大な方墳を造営したことは、畿内の支配体制に深く組み込まれていた東国首長の政治的立場を物語っている。
さらに重要なのは、この古墳の目と鼻の先に、7世紀後半に創建された東日本最古級の古代寺院である龍角寺が存在する点である。巨大古墳の造営(岩屋古墳)から、仏教の受容と寺院の建立(龍角寺)への移行は、首長がその権威を誇示・維持する手段を、伝統的な墳墓から新興の仏教施設へとドラスティックに転換させたことを示している。本古墳は、東国における律令国家体制への参入と、宗教信仰の変遷を視覚的に理解する上で極めて高い学術的価値を持っている。