鳥羽僧正覚猷 (とばそうじょうかくゆう)
1053年〜1140年
【概説】
平安時代末期の天台宗の高僧。高い学識によって天台座主にまで登りつめた実力者であり、仏画やユーモラスな戯画(おこ絵)の名手としても名高い人物。
鳥羽上皇の信任を得た天台宗の高僧
覚猷は、平安時代後期の公家であり『今昔物語集』の編者とも目される源隆国の子として生まれた。園城寺(三井寺)に入って密教を学び、四天王寺別当などを経て大僧正にまで昇進した。鳥羽上皇の信任が非常に厚く、上皇が造営した鳥羽離宮の証金剛院に住したことから、一般に鳥羽僧正と称される。1138年には天台宗の最高位である天台座主に就任したが、比叡山延暦寺と園城寺の激しい対立に巻き込まれ、わずか数日で辞任した。このように仏教界の最高権威の一人として激動の時代を生きた実在の高僧であった。
『鳥獣戯画』作者説とその歴史的背景
覚猷は優れた仏画を数多く描いたとされる一方、社会をユーモラスに風刺した「嗚呼絵(おこえ・滑稽な絵のこと)」の名手としても知られていた。この伝統的な画才の評判から、日本最古の漫画とも評される京都・高山寺所蔵の国宝『鳥獣人物戯画』の作者として古くから仮託されてきた。しかし、現代の美術史学の研究では、同作は12世紀から13世紀(平安末期から鎌倉初期)にかけて複数の異なる絵師によって描き継がれたものと判明しており、覚猷が直接執筆したという確証はない。それでもなお彼の名が作者として伝承され続けた事実は、当時の貴族や僧侶などの知識人階層の間で、高度な風刺や知的な笑いが共有されていた文化背景を物語っている。