文安の麹騒動 (ぶんあんのこうじそうどう)
1444年
【概説】
室町幕府が北野社麹座の持つ麹(こうじ)の製造・販売の独占権を否定したことに対し、反発した麹商人が蜂起し、武力鎮圧された事件。中世京都における「座」の特権解体と、幕府による商業統制・財源確保の動きを象徴する出来事である。
北野社麹座の独占権と酒屋との対立
中世の京都において、酒造りに不可欠な麹の製造・販売は、北野神社(北野天満宮)を本所(庇護者)とする北野社麹座が独占的な特権を有していた。京都の造り酒屋は麹座から麹を購入して酒を造る義務を負っていたが、やがて酒屋が規模を拡大し自ら麹を製造(自家製麹)し始めると、利害の対立から両者の間で深刻な紛争が生じるようになった。室町幕府は当初、伝統的な権門である北野社の特権を認めていたが、次第に重要財源である酒屋役(酒屋への課税)の徴収を優先し、酒屋側を保護する方針へと傾いていった。
騒動の勃発と「座」の衰退
1444年(文安元)、幕府が北野社麹座の独占権を破る決定を下すと、これに激しく反発した麹商人たちは北野社に立てこもり、特権の維持を求めて蜂起した。これに対し、幕府(管領の畠山持国ら)は軍勢を派遣して武力鎮圧を強行し、この過程で北野社の社殿や門前町が焼失、多くの死傷者を出す惨事となった。この敗北によって北野社麹座の独占的特権は崩壊し、京都の麹造りの主導権は酒屋へと移った。この事件は、神仏の権威を背景にした中世的な「座」の特権が解体に向かい、幕府権力による新たな経済秩序の編成が進む過渡期を示す象徴的な事件である。