雑誌『白樺』
【概説】
1910年(明治43年)に武者小路実篤や志賀直哉らによって創刊された文芸・美術の同人雑誌である。大正期における人道主義や理想主義を掲げる「白樺派」の活動拠点となり、文学のみならずロダンやゴッホなど西洋の近代美術を日本へ紹介する上でも多大な貢献を果たした。
創刊の背景と「白樺派」の結成
1910年(明治43年)、学習院出身の青年層を中心とする武者小路実篤、志賀直哉、有島武郎、有島生馬、里見弴、柳宗悦らによって創刊された。当時の日本文壇は、人生の暗部や現実の醜悪さを客観的に描こうとする自然主義文学が全盛を極めていた。彼らはこの閉塞的で虚無的な自然主義に反発し、人間の意志や生命力を肯定する新しい芸術の創造を目指した。
雑誌『白樺』に集った若者たちは「白樺派」と呼ばれた。彼らはトルストイなどの影響を強く受け、大正時代の自由で開放的な気風を背景に、強烈な自己肯定と個性尊重を軸とする理想主義・人道主義(ヒューマニズム)を掲げたのである。
自己肯定の文学と大正青年への影響
『白樺』は、白樺派の作家たちが自らの思想や創作を発表する最大の拠点となった。武者小路実篤の『お目出たき人』などに代表されるように、彼らの文学はエゴイズム(自己中心主義)を肯定しつつも、それが他者の生命や個性を尊重する人道主義へと接続されていく点に特徴があった。また、志賀直哉の精緻な心理描写や、有島武郎の社会的な葛藤を描いた作品群もこの雑誌を足場として育まれた。
日露戦争後の国家主義的な重圧から解放されつつあった大正期の青年層にとって、『白樺』が発信する「自己の確立」や「個人の尊厳」を重んじるメッセージは圧倒的な支持を集めた。これは大正デモクラシーの進展とともに広まった「大正教養主義」の形成にも深く寄与した。
西洋近代美術の積極的な紹介
『白樺』の歴史的意義は、文学のみならず美術史の文脈においても極めて大きい。当時はまだ日本に情報が少なかった後期印象派(セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン)や、彫刻家オーギュスト・ロダンなどの西洋最新美術を、豊富な図版や情熱的な評論とともにいち早く紹介した。
特にロダンに対しては、同人たちが浮世絵を贈った返礼としてロダン本人から彫刻作品が寄贈されるという、国境を越えた直接的な交流も生まれている。また、『白樺』主催の美術展覧会もたびたび開催され、岸田劉生や高村光太郎など、当時の日本の新進気鋭の美術家たちに決定的な影響を与えた。
終刊と近代日本文化への遺産
14年間にわたって大正期の文化を牽引した『白樺』であったが、1923年(大正12年)の関東大震災によって印刷所が被災し、第160号をもって終刊を余儀なくされた。しかし、雑誌の廃刊後も白樺派の作家たちは昭和期に至るまで文壇の重鎮として活躍し続けた。
さらに、同人の一人である柳宗悦は後に「民藝運動」を主導するなど、彼らが『白樺』を通じて培った美意識や人間尊重の精神は、文学・美術・工芸など多岐にわたる分野へと継承された。雑誌『白樺』は、単なる一文芸誌にとどまらず、日本の近代文化の成熟を象徴する極めて重要な史料であるといえる。