錦織部

重要度
★★

【参考リンク】
錦織(Wikipedia)

錦織部 (にしごりべ)

5世紀〜6世紀頃

【概説】
古墳時代に編成された大和政権の品部(技術系部民)の一種で、渡来系の高度な技術を用いて色鮮やかな高級絹織物「錦」を織った専門職能集団。百済をはじめとする朝鮮半島からの技術受容を背景に成立し、王権の権威を示す象徴的な衣料や外交的贈答品の生産を担った。

渡来系技術の受容と錦織部の成立

古墳時代の5世紀後半、大和政権は朝鮮半島諸国との交渉を活発化させ、それに伴って多くの渡来人が日本列島へ移住した。特に雄略天皇の時代には、百済などから先進的な技術を持つ職人集団が多数招聘され、これらは「今来の才伎(いまきの手ひと)」と呼ばれた。錦織部も、こうした渡来系技術者の導入を契機として組織された品部の一つである。

当時の日本にも自生的な機織り技術は存在したが、多色の染め糸を用いて複雑な文様を表現する「錦(にしき)」の製織には、特殊な構造の織機と、高度な染色・製織技術が必要不可欠であった。大和政権は、これら渡来系の織工集団を大和国(現在の奈良県)や河内国(現在の大阪府)などの畿内近国に配置し、政権の直轄管理下に置いた。この錦織部を統率する伴造(とものみやつこ)には、同じく渡来系氏族である錦織首(にしごりのおびと)などが任じられ、部民の管理と製品の貢納に責任を負った。

大和政権における政治的・外交的役割

錦織部が生産した「錦」は、単なる衣料品としての実用性を超え、極めて高い政治的・宗教的価値を有していた。大和政権の王(大王)や有力豪族は、錦を身にまとうことで自らの神秘的な威信と優位性を周囲に誇示した。さらに、中央の王権が地方首長に対して錦を下賜することは、政治的な服属関係や同盟関係を構築・維持するための重要な手段(賜与関係)として機能した。実際に、この時期の有力古墳からは、錦をはじめとする高級織物の痕跡や関連する遺物が出土しており、その政治的意義を裏付けている。

また、対外外交の局面においても錦は不可欠な存在であった。東アジアの国際社会において、中国王朝や朝鮮半島の諸国との間で交わされる外交交渉では、錦などの高級絹織物が第一級の貢納品や贈答品(外交ギフト)として用いられた。大和政権は、錦織部を編成して独自の高級織物生産体制を整えることにより、自国の文化的地位を高め、東アジア諸国と対等に渡り合うための経済的基盤を構築したのである。このように錦織部の存在は、古代日本の部民制の展開と、国際的な技術交流のあり方を象徴するものとして重要な意味を持っている。

日本史一問一答(ランダム)

Q. 律令制の税のうち、都での年間10日間の労役(歳役)の代わりに、一定量の布などを納めるものを何というか?
A.
Q. 神祇官を世襲する氏族の出身で、中大兄皇子に接近して蘇我氏打倒のクーデターを成功させ、新政府の内臣となった人物は誰か?
Q. 弥生時代の3区分のうち、鉄製農具が普及して生産力が飛躍的に高まり、小国の統合が進んで邪馬台国のような連合が形成された時期を何というか?