近江国(戦国時代) (おうみのくに)
【概説】
現在の滋賀県に該当する令制国。畿内と東国・北国を結ぶ陸上・水上交通の要衝であり、戦国期には六角氏や浅井氏などの有力大名が激しく覇を競った地。のちに織田信長が安土城を築き、天下統一事業を推し進めるための最大の拠点となった。
地政学的要衝と「近江を制する者は天下を制す」
近江国は日本最大の湖である琵琶湖を中央に抱き、古くから東海道・東山道(のちの中山道)・北陸道が交差する陸上交通の結節点であった。同時に、琵琶湖の水運を利用すれば、北陸地方の物資を効率的に京都へと運ぶことができるなど、流通・経済の面でも極めて重要な役割を担っていた。室町幕府や朝廷が存在する京都に隣接していることから、諸国の大名が上洛を目指す際には必ず通らねばならないゲートウェイであり、「近江を制する者は天下を制す」と言われるほど軍事・政治的な重要性が高かった。
六角氏と浅井氏の割拠と先進的な領国支配
戦国時代の近江国は、大きく南部と北部に分かれて勢力が拮抗していた。南部(江南)を支配したのは、室町以来の守護大名である六角氏(本拠:観音寺城)である。六角定頼は優れた政治手腕を持ち、城下町に日本初とされる楽市(石寺新市)を開いて商工業を活性化させ、さらに家臣を城下に集住させる「城下町」の原型を形作った。一方、北部(江北)では、守護京極氏の被官から台頭した新興勢力の浅井(あざい)氏(本拠:小谷城)が勢力を伸ばした。浅井氏は越前の朝倉氏と同盟を結ぶことで地盤を固め、六角氏と熾烈な領有権争いを展開した。
織田信長の進出と安土城による天下布武の完成
尾張から上洛を目指す織田信長にとって、近江の掌握は最優先課題であった。信長は浅井氏の当主・浅井長政に妹の市を嫁がせて同盟を結ぶ一方、上洛を拒んだ南近江の六角氏を1568年に駆逐し、京都へのルートを確保した。しかし、のちに浅井氏が盟約を破って朝倉氏側についたため、信長は徳川家康とともに姉川の戦い(1570年)で浅井・朝倉連合軍を破り、1573年には小谷城を攻略して浅井氏を滅亡に追い込んだ。
近江を完全に平定した信長は、1576年、琵琶湖東岸の交通の要衝に安土城を築城した。五重七階の絢爛豪華な天守(天主)を持つこの城は、一画に楽市楽座を設けて関所を廃止するなど、信長による「天下布武」の象徴であり、中世から近世へと移行する日本史の画期となる政治的センターとなった。