志筑忠雄 (しづきただお)
【概説】
江戸時代後期に活躍した長崎のオランダ通詞、蘭学者。エンゲルベルト・ケンペルの『日本誌』の一部を翻訳して『鎖国論』と題し、「鎖国」という概念を日本で初めて造語したことで知られる。また、『暦象新書』を著して西洋の近代天文学や物理学を体系的に紹介するなど、日本の蘭学発展と近代科学の受容に多大な貢献を果たした。
長崎通詞から蘭学の探求者へ
志筑忠雄は、代々長崎でオランダ通詞を務める家系に生まれた。若くして通詞見習いとなったが、生来の病弱さもあって早くに実務職を辞退し、以後は在野の学者として語学研究や西洋書物の翻訳に専念した。
当時のオランダ通詞は、単なる貿易の通訳者にとどまらず、西洋の学術や文化を日本に移入する最前線の知識人であった。志筑は長崎という地理的優位性と、通詞の家に伝わる語学環境を最大限に活かし、私塾を開いて後進の育成にあたりながら、オランダ語文法書『蘭学管見』を著すなど、江戸時代の蘭学の基礎を固める役割を担った。
ケンペル『日本誌』の翻訳と「鎖国」の誕生
志筑の業績の中で歴史思想的に最も重要なのが、1801年(享和元年)に完成させた『鎖国論』である。これは、17世紀末に日本に滞在したドイツ人医師エンゲルベルト・ケンペルの著書『日本誌』(オランダ語版)の附録論文を翻訳したものである。
ケンペルの原論文は、日本の厳格な対外統制政策を「自国を平和に保つための優れた制度」として肯定的に評価したものであった。原題には「鎖国」という言葉は含まれておらず、長い説明的なタイトルが付けられていたが、志筑はこの趣旨を端的に表現するため、「鎖国」という言葉を初めて造語し、書名とした。
この『鎖国論』は写本を通じて全国の知識人に広く読まれることとなった。その結果、「鎖国」という言葉は単なる翻訳語の枠を超え、江戸幕府の伝統的な外交体制(祖法)を指す概念として定着していく。そして幕末における開国か攘夷かをめぐる激しい政治論争において、国是の前提として強烈な影響力を持つに至ったのである。
『暦象新書』とニュートン力学の導入
志筑は歴史や思想だけでなく、自然科学の分野でも画期的な功績を残している。イギリスの天文学者ジョン・キールの著書の蘭訳本をさらに日本語へ重訳し、数年がかりで『暦象新書』(1798年〜1802年)としてまとめた。
この著作は、単にコペルニクスの地動説やケプラーの法則を紹介したにとどまらず、アイザック・ニュートンの万有引力の法則をはじめとする近代物理学(ニュートン力学)を日本で初めて体系的に解説した画期的な文献であった。志筑は西洋の全く新しい科学概念を翻訳するにあたり、自ら新たな訳語を多数考案した。現在私たちが日常的に使用している「引力」「重力」「遠心力」「求心力」といった科学用語は、この時に志筑が生み出したものである。
志筑忠雄の歴史的意義
志筑忠雄の翻訳態度は非常に厳密であり、直訳に頼らず、西洋の科学思想を東洋の伝統的な自然観(陰陽五行説など)と結びつけて理解させようとする独自の工夫も見られた。彼の学問は、馬場佐十郎をはじめとする優秀な門人たちに受け継がれ、江戸幕府の天文方や後の蕃書調所へと連なる日本の近代科学受容の確固たる礎となった。
歴史用語としての「鎖国」を生み出し、同時に近代物理学の基礎用語を確立した志筑忠雄は、幕末から明治へと向かう日本の思想史・科学史の双方において、極めて重要な結節点に位置する人物であると言える。