身売り

農業恐慌で極度に困窮した農民が、借金返済のために自分の娘を遊郭の娼妓や工女として前借金と引き換えに手放すことを何と呼んだか?
カテゴリ:
重要度
★★

【参考リンク】
人身売買(Wikipedia)

身売り (みうり)

1930年代前半

【概説】
昭和恐慌期において、極度の困窮に陥った農村の農家が、生計の維持や借金返済のために娘を遊郭や紡績工場へ送り出した現象。前借金という名の債務と引き換えに身柄を拘束する、実質的な人身売買の一種。当時の日本社会が抱えていた地主・小作関係の矛盾や、都市と農村の極端な格差を象徴する悲劇的な社会問題である。

昭和恐慌と農村の壊滅的打撃

1929年に米国で始まった世界恐慌の波は、翌1930年に日本へ及び、昭和恐慌を引き起こした。この恐慌において、最も深刻な打撃を受けたのが農村部である。特に、当時の農家にとって重要な副業・現金収入源であった養蚕業は、主要な輸出先であった米国での絹需要急減に伴い、繭価が暴落したことで壊滅的な被害を受けた。さらに、主食である米の価格も暴落し、小作農をはじめとする多くの農家はたちまち生計を立てられなくなった。

この経済的苦境に追い打ちをかけたのが、1931年(昭和6年)から東北地方を中心に発生した大冷害と凶作(東北冷害)である。これにより農村の貧困は極限に達し、学校に弁当を持参できない「欠食児童」が急増したほか、山野の草木や藁を食べて飢えを凌ぐといった、およそ近代的国家とは言い難い凄惨な状況が現出した。

前借金制度と「身売り」の構造

このような極限状態の中で、小作料や負債の返済、そして日々の食い扶持を減らすために行われたのが「身売り」であった。農家は、仲介業者(ブローカー)を通じて、自身の娘を都市の遊郭や私娼窟、あるいは糸を紡ぐ紡績工場や織物工場へと送り出した。

この取引は、表向きは「年季奉公」の雇用契約や前渡金の授受という形式を取っていたが、実際には親が受け取る前借金(前払いされた給与)によって娘の身体を拘束する人身売買そのものであった。売られた女性たちは、不衛生かつ過酷な環境下で長時間の労働を強いられ、その労働賃金のほとんどは前借金の利息や返済、さらには衣食住の経費として雇用主に搾取された。そのため、契約年数が明けても借金が完済できず、事実上の監禁・強制労働から抜け出せないケースが後を絶たなかった。

社会への衝撃と軍国主義台頭への連動

農村における娘の身売りや悲惨な飢餓の状況は、新聞などのメディアを通じて大々的に報道され、都市部の知識人や一般市民に大きな衝撃を与えた。この問題は、明治以来の急激な資本主義化・近代化が、地方の農村を犠牲にすることで成り立っていたという日本社会の構造的欠陥を浮き彫りにした。

そして、この農村の窮状に最も激しい怒りと危機感を抱いたのが、陸軍の青年将校たちであった。当時の兵士の多くは農村出身であり、前線で命を懸けて戦う兵士の姉妹が都市で身売りを強いられているという現実は、青年将校らにとって看過できない義務感と憤りをもたらした。彼らは、政党政治家や財閥(特権階級)が自己の利益に汲々とし、国民の困窮を顧みない「腐敗した既得権益」であると見なし、国家の根本的な改造を叫ぶようになった。この地方農村の崩壊とそれに対する義憤は、のちの五・一五事件(1932年)や二・二六事件(1936年)といった過激なテロリズムを誘発し、政党政治を終焉させて軍部が主導するファシズム体制へと傾斜していく重要な社会的・精神的背景となったのである。

あゝ野麦峠 ある製糸工女哀史 (角川文庫)

飛騨の山から信州へ向かった少女たちの過酷な労働と絆を綴った、日本近代化の光と影を今に伝える悲劇の記録。

女工哀史 (岩波文庫 青 135-1)

明治期の製糸工場で搾取された女性たちの過酷な日常と抵抗の歴史を克明に描き出した、日本労働史における古典的名著。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

日本史一問一答(ランダム)

Q. 第12代将軍で、細川氏などの権力闘争に巻き込まれ、たびたび京都から近江(朽木谷など)へ逃亡した人物は誰か?
Q. 寺内正毅内閣が中国における日本の権益拡大のため、段祺瑞政権に対して行った総額1億4500万円にのぼる借款は何か?
Q. 律令国家において、基本法典である律令の規定を実情に合わせて修正・補足した追加法令を何というか?
A.