足高の制

役職就任時のみ不足分の役高(米)を支給し、身分の低い有能な人材を登用しやすくした制度を何と呼ぶか。
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★★★

【参考リンク】
足高の制(Wikipedia)

足高の制 (たしだかのせい)

1723年制定

【概説】
江戸時代中期、第8代将軍徳川吉宗の享保の改革において制定された役位と俸禄に関する制度。役職に必要な基準の石高(役高)に達しない者を登用する際、在職中のみ不足分の米を足高として支給し、人材登用と財政節約を両立させた。

享保の改革と制定の背景

江戸時代中期の18世紀前半、第8代将軍徳川吉宗が主導した享保の改革は、極度に悪化していた幕府財政の再建を最重要課題としていた。財政立て直しや行政の刷新を行うためには有能な幕臣の存在が不可欠であったが、当時の幕府には深刻な人事上のジレンマがあった。江戸幕府の役職は、大番頭や町奉行、勘定奉行など、それぞれ就任に必要な家禄(石高)の目安が暗黙の内に定まっており、家格の高い大身旗本が上位の役職を独占する傾向にあった。しかし、高い家格を持つ者が必ずしも実務能力に優れているとは限らなかった。

一方で、下級の実務官僚として働く小身の旗本・御家人の中には、優れた能力を持つ者が多数存在していた。吉宗は彼らを要職に抜擢しようと考えたが、当時の慣例では、下位の者を上位の役職に就けるためには、その役職に見合った額まで家禄そのものを加増する必要があった。家禄の加増は子孫へ世襲されるため、有能な人材を次々と登用すれば永続的な財政負担増を招き、財政再建という根本目標と矛盾してしまう。このジレンマを解消するために考案されたのが、1723年(享保8年)に制定された足高の制である。

足高の制の具体的な仕組み

足高の制では、まず幕府の主要な役職ごとに、基準となる石高である役高(やくか)を明文化して定めた。例えば、江戸の市政や司法を担う重要な役職である町奉行の役高は「3000石」、財政を担う勘定奉行の役高は「3000石」、軍事を担う大番頭は「5000石」といった具合である。

その上で、就任予定者の本来の世襲家禄(本高)が役高に満たない場合、在職期間中に限ってその不足分を「足高」として支給することとした。例えば、本来の家禄が500石の旗本が、役高3000石の町奉行に抜擢されたとする。この場合、不足している2500石分が在任中のみ足高として支給され、実質的に3000石の収入を得て職務に当たることができる。そして、その職を辞任したり別の役職に異動したりすれば、足高の支給は停止され、元の家禄である500石(あるいは異動先の役職に応じた足高)に戻るという仕組みであった。

人材登用と財政再建の両立

この制度の最大の眼目は、家格にとらわれない能力主義に基づく人材登用と、幕府財政の節約という、本来であれば相反する二つの課題を同時に解決した点にある。

役職には相応の出費(部下を雇う費用や交際費、儀礼的な支出など)が伴うため、小身の者が低収入のまま高位の役職に就くことは現実的に不可能であった。足高の制は、在職中の経済的裏付けを幕府が保証することで、身分や家禄の低い者でも安心して要職の職務に専念できる環境を整えた。これにより、吉宗の側近として活躍した大岡忠相(越前守)や、優れた農政家として知られた田中丘隅(休愚)など、小身の出身者や民間出身の有能な人材が次々と幕政の表舞台に引き上げられた。

同時に、支給される足高はあくまで「一代限りの役職手当」にすぎないため、役職を退けば支出は直ちに消滅する。世襲の家禄を加増する従来の方式に比べ、幕府の永続的な財政負担を劇的に抑えることに成功したのである。

歴史的意義と幕政への影響

足高の制は、硬直化しがちな封建的・世襲的な身分制社会である江戸時代において、官僚機構に実力主義の要素を取り入れた画期的な制度であった。これにより幕府の行政組織は合理化され、血筋や家格だけでなく実務能力を重視する官僚制の発展に大きく寄与した。

この合理性と実用性の高さから、足高の制は吉宗の死後も幕府の基本法として定着した。寛政の改革や天保の改革など、後代の幕政においても有能な人材を発掘・登用するための不可欠なシステムとして機能し続け、江戸幕府が幕末に至るまで安定した行政運営を維持できた背後には、この制度による柔軟な人事配置の確立があったと言える。

徳川吉宗と江戸の改革 (講談社学術文庫 1194)

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江戸幕府役職集成 新装版

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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