趙匡胤 (ちょうきょういん)
927年〜976年
【概説】
中国の宋(北宋)の建国者であり、初代皇帝(太祖)。五代十国時代の混乱を収拾し、従来の武断政治を改めて皇帝独裁権力を強化する文治主義を確立した人物。
宋の建国と文治主義の推進
趙匡胤は後周の有力な軍人であったが、部下に推戴されて帝位に就き(陳橋の変)、960年に宋を建国した。彼は唐末以来、地方軍閥(藩鎮)が割拠して王朝が交代し続けた反省から、将軍たちの兵権を平和的に解除して中央集権化を進めた。さらに、官僚登用試験である科挙に皇帝自らが最終面接を行う「殿試」を導入し、優秀な文人官僚を優遇することで、皇帝へ権力を集中させる文治主義の国家体制を築き上げた。
日本(平安時代)への影響と歴史的意義
趙匡胤による宋の建国と東アジア情勢の安定は、日本の平安時代中期の対外関係に決定的な影響を与えた。寛平の遣唐使廃止(894年)以降、日本と中国大陸の公式な国交は途絶えていたが、宋の誕生に伴って博多などを舞台に民間商人による日宋貿易が活発化した。宋から輸入された陶磁器や書籍、香料などは平安貴族の間で珍重され、のちに日本国内で流通することになる宋銭(銅銭)は、日本の貨幣経済発達の起点となった。