西郷従道

台湾出兵において、遠征軍の司令官として出撃した西郷隆盛の弟は誰か?
カテゴリ:
重要度
★★

西郷従道 (さいごうつぐみち)

1843年〜1902年

【概説】
幕末から明治時代にかけて活躍した薩摩藩出身の軍人、政治家。維新の三傑の一人である西郷隆盛の弟であり、初代海軍大臣や元帥海軍大将を歴任した近代日本海軍の重鎮。1874年の台湾出兵に際し、政府の制止命令を無視して独断で出兵を強行したことで知られる。

台湾出兵と「独断専行」の強行

明治政府は、1871年に琉球漂流民が台湾の先住民に殺害された事件(宮古島島民遭難事件)を契機として、1874年に台湾出兵(征台の役)を計画した。この背景には、前年の「明治六年の政変」で征韓論が退けられたことによる、不平士族の不満を外方にそらすという政治的意図もあった。この遠征軍の司令官(台湾蕃地事務都督)に任命されたのが、当時陸軍中将であった西郷従道である。

しかし出兵直前になり、清国との武力衝突を懸念したイギリスやアメリカから抗議を受け、さらに清国との外交交渉も難航したため、政府は大久保利通や三条実美の主導のもと、急遽出兵の延期を決定した。これに対し、すでに長崎に兵を集結させていた従道は、「一度発した軍令を取り消せば、血気盛んな士族たちの暴動を招きかねず、国家の威信も失墜する」と主張。政府からの派遣中止命令を拒否し、「我が身一切の罪を引き受ける」として独断で進軍を強行した。この事件は、後世の日本軍における「出先機関の独断専行」や「統帥権の独立」をめぐる問題の先駆的な事例として、歴史的にきわめて重要な意味を持っている。

兄・隆盛との決別と海軍近代化への貢献

1877年に兄の西郷隆盛が私学校生徒らを率いて挙兵し、最大級の士族反乱である西南戦争が勃発すると、従道は兄に同調せず、一貫して明治政府(官軍)の側に立ち続けた。実兄との対決という苦渋の決断を迫られながらも、近代国家の秩序維持を優先した従道は、政府内において陸海軍の信頼を勝ち取ることとなった。

西南戦争後は、主に海軍の分野で主導権を握る。1885年に創設された第1次伊藤博文内閣において初代海軍大臣に就任すると、その後も複数の内閣で海相を歴任した。従道は薩摩閥の重鎮として、日本海軍の拡張と近代化、特に日清戦争や後の日露戦争に向けた連合艦隊の整備に尽力し、1898年には海軍軍人として初めて「元帥」の称号を授与された。兄・隆盛が「野(や)」に下って没したのに対し、従道は「朝(ちょう)」にあって国家の軍事組織を築き上げた、もう一人の西郷家を代表する重要人物である。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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