衛門府

重要度
★★

衛門府 (えもんふ)

701年〜

【概説】
律令制下の二官八省百官の体系において、宮廷の警備を担った五衛府(のちに六衛府)の一つ。宮城(天皇の御所)の外門の警備や、門を通行する人々の監視・検察を主な任務とした官司。飛鳥時代末期の大宝律令によって整備され、宮廷および都の秩序を維持する上で重要な役割を果たした。

律令国家の形成と五衛府の確立

大宝律令(701年)の制定にともない、律令国家の中央軍事・警察組織として五衛府(衛門府、左右衛士府、左右兵衛府)が整備された。衛門府はその中核的な存在であり、天皇の在所である宮城(大内裏)の外郭の門を警備し、国家の秩序と権威を守る象徴的な役割を担った。飛鳥時代末期から奈良時代にかけて、律令官僚制の進展とともにその組織や機能が確固たるものへと整えられていった。

衛門府の職掌と組織構成

衛門府の主な任務は、宮城の諸門の警備と開閉、そして門を通行する者の身元や通行証(門籍)の確認であった。これに加えて、京内のパトロール(巡検)や、天皇が行幸する際の供奉(お供)などの治安維持活動も担当した。組織の構成としては、長官である衛門督(かみ)を頂点に、佐(すけ)、尉(じょう)、志(さかん)の四等官が置かれた。実際の警備にあたる実戦力としては、諸国から徴発された衛士(えじ)のほか、門の警備を専門とする門部(かどべ)や、南九州の異民族とされた隼人(はやと)らが配属され、厳重な警備体制を敷いていた。

治安維持機能の変遷と検非違使への移行

奈良時代後期から平安時代初期にかけて、近衛府の権限強化などの組織改編が進み、弘仁2年(811年)には左右の衛士府を統合・吸収する形で左右衛門府へと再編された(いわゆる六衛府体制)。しかし、平安時代中期に入ると律令制が次第に弛緩し、深刻化する都の治安悪化に対応するため、天皇直属の警察組織である検非違使(けびいし)が台頭することとなる。やがて検非違使の別当(長官)や尉(判官)を、衛門府の官人が兼任することが一般化していった。これにより、衛門府が持っていた実質的な警察・裁判機能は次第に検非違使へと吸収され、衛門府自体は形式的な儀礼組織として名骸化していくこととなった。

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日本史一問一答(ランダム)

Q. 律令制の給与の一つで、国家への勲功(手柄)に対して支給され、功績の大きさによっては子孫への世襲も認められた田地を何というか?
Q. 1884年、縄文土器とは異なる新しい様式の土器が初めて発見され、のちに時代や土器の名前の由来となった東京都の地名はどこか?
Q. 秦氏などに率いられ、高度な機織り技術を用いて錦などの高級な絹織物を生産し、朝廷に納めた専門の部民集団を何というか?