血盟団事件

高校日本史的重要度
★★

【参考リンク】
血盟団事件(Wikipedia)

血盟団事件 (けつめいだんじけん)

1932年

【概説】
1932年(昭和7年)2月から3月にかけて、日蓮宗の行者・井上日召が組織した右翼団体「血盟団」の構成員が、政財界の要人を相次いで暗殺したテロ事件。世界恐慌下の深刻な不況と政治腐敗を背景に、「昭和維新」の実現を目指して引き起こされた。この事件は、同年に発生した五・一五事件へと連鎖し、日本の政党政治の終焉と軍部の台頭を決定づける契機となった。

事件の背景:昭和恐慌と「政財癒着」への怒り

1929年末に米国で始まった世界恐慌の波は日本にも及び、日本経済は昭和恐慌と呼ばれる大打撃を被った。特に農村部では、米価や生糸価格の暴落によって飢饉や身売りが相次ぐなど、深刻な窮状に陥っていた。しかし、当時の立憲民政党や立憲政友会といった既成政党は、激しい政権争いに終始し、三井・三菱などの財閥と癒着して有効な救済策を打ち出すことができなかった。

こうした状況に対し、社会の根本的な改造を求める「国家改造運動(昭和維新運動)」が急進的な若手軍人や民間右翼の間で台頭する。日蓮宗の僧侶であった井上日召(いのうえにっしょう)は、茨城県大洗の護国堂を拠点に農村の青年たちを集め、国家を革新するためには政財界の指導者(巨頭)を暗殺する直接行動(テロリズム)が必要不可欠であると説くようになった。これがのちに「血盟団」と呼ばれる組織の思想的背景である。

「一人一殺」の実行と要人の暗殺

井上日召は、政財界の腐敗の元凶とみなした指導者らを暗殺するため、団員に「一人一殺」を命じた。暗殺リストには、首相や蔵相、財閥トップなどの名前が連ねられた。そして1932年初頭、具体的なテロが実行に移されることとなる。

同年2月9日、民政党の選挙幹部であり、前大蔵大臣として金解禁を断行しデフレ不況を招いた責任者と目されていた井上準之助が、本郷区の小学校での演説会に赴く途上、血盟団員の小沼正によって射殺された。次いで3月5日には、日本最大の財閥である三井合名会社の理事長であり、財界の最高指導者であった団琢磨が、日本橋の三井本館玄関前で団員の菱沼五郎によって射殺された。この2つの暗殺事件を総称して「血盟団事件」と呼ぶ。

近代日本に与えた影響:テロの連鎖と政党政治の崩壊

血盟団の計画では、さらに元老の西園寺公望や内大臣の牧野伸顕などの暗殺も予定されていたが、警察の捜査によって井上日召らが逮捕されたことで、一連の暗殺計画は頓挫した。しかし、血盟団に同調していた海軍の急進派青年将校らは、この計画を引き継ぐ形で同年5月15日に五・一五事件を起こし、犬養毅首相を暗殺するに至る。

逮捕された血盟団員たちの裁判において、被告らは「農村の窮状を救うための義挙であった」と主張し、その愛国心や純真な動機が新聞報道などを通じて社会に同情的に受け止められた。この「テロを容認する世論」の形成は、軍部や右翼勢力の暴走を抑制することを不可能にし、政党政治を終焉させて満州事変以降のファシズム化・軍国主義化を加速させる決定的な要因となった。

最終更新:
2026年8月15日 @ 15:47

日本史一問一答(ランダム)

Q. 近松門左衛門が実際に起きた心中事件を題材にして書いた、世話物の最初の作品とされる浄瑠璃は何か。
Q. 西陣から高機などの技術を導入し、高級絹織物の産地として発展した上野国の地域はどこか。
Q. 旧石器時代の人々が、大型動物などの獲物や食料を追い求めて、一つの場所に留まらずに移動を繰り返した生活様式を何というか?