後冷泉天皇

高校日本史的重要度
★

【参考リンク】
後冷泉天皇(Wikipedia)

後冷泉天皇 (ごれいぜいてんのう)

1025年〜1068年

【概説】
第70代の平安時代の天皇。摂関政治の全盛期を築いた藤原頼通が関白を務めたが、頼通の娘から皇子が生まれなかったことで、摂関家を外戚としない新政権誕生への契機を作った、摂関政治衰退期の天皇。

藤原頼通との関係と皇嗣問題

後冷泉天皇の治世は、藤原道長の子である関白・藤原頼通が実権を握り、一見すると摂関政治の安定期であった。頼通は自身の娘である寛子らを天皇の後宮に送り込み、自らの外戚地位の維持に努めた。しかし、后たちとの間に後継者となる皇子(男子)が誕生することはなかった。この「外戚関係の不成立」は、道長から引き継がれてきた藤原摂関家の圧倒的な権力基盤に致命的な綻びを生じさせる原因となった。

摂関政治の衰退と「後三条新政」への布石

1068年、後冷泉天皇が皇子のないまま崩御したため、皇太子であった異母弟の尊仁親王が後三条天皇として即位した。後三条天皇の母(禎子内親王)は藤原氏の出自ではなかったため、ここに約170年ぶりとなる「藤原氏を外戚としない天皇」が誕生することとなった。後冷泉天皇の崩御は、藤原頼通による摂関支配を事実上終わらせ、のちの院政へと繋がる政治体制の歴史的転換点となった。

最終更新:
2026年6月25日 @ 22:53

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