葛西清重 (かさいきよしげ)
1162年〜1238年
【概説】
鎌倉時代初期に活躍した坂東平氏系の御家人。源頼朝の挙兵に従って平氏追討や奥州合戦で軍功を挙げ、初代の奥州総奉行に任命されて幕府による奥州支配の礎を築いた人物である。
源頼朝への臣従と奥州合戦における武功
葛西清重は、下総国葛飾郡葛西荘(現在の東京都葛飾区周辺)を本拠地とする豊島氏の一族であり、秩父平氏の流れを汲む有力武士であった。治承4年(1180年)、源頼朝が伊豆で挙兵し、石橋山の戦いに敗れて安房国へと逃れた際、清重はいち早く頼朝のもとに参じて臣従した。以後、鎌倉幕府の創設期における近習・宿老として頼朝を支え続けた。
文治5年(1189年)の奥州合戦においては、奥州藤原氏を討つべく下向する頼朝の軍勢に従い、先陣を争うほどの目覚ましい武功を挙げた。この戦いを通じて清重は、頼朝から絶大な信頼を獲得することとなった。
初代奥州総奉行への抜擢と葛西氏の奥州定着
奥州藤原氏が滅亡したのち、源頼朝は広大な陸奥国の治安維持と戦後処理を行うため、清重を伊沢(留守)家景とともに初代の奥州総奉行(奥州奉行)に任命した。これは、奥州の御家人の統率や領地紛争の裁決、国衙領の管理などを担う極めて重要な役職であった。
この任官に伴い、清重は陸奥国葛西郡(現在の岩手県南部から宮城県北部)などの広大な所領を与えられた。これにより、本来は下総国の武士であった葛西氏が陸奥国へと下向・土着する契機が生まれ、のちに中世を通じて奥州に君臨し、戦国大名へと発展していく基盤が形成されることとなった。