新思潮派(新理知派) (しんしちょうは(しんりちは)
【概説】
大正時代、同人誌『新思潮』を拠点に活動した、芥川龍之介や菊池寛らに代表される文学の一派。感情に溺れず、理知的・客観的な視点から人間の心理や現実を捉え直そうとした。自然主義の偏狭さと白樺派の理想主義の双方を批判的に乗り越えようとした、大正文学を代表する思潮である。
1. 自然主義と白樺派に対する「第三の道」
明治末期から大正初期にかけての日本文壇は、自己の醜悪な現実を暴露する自然主義文学(私小説)と、人道主義や直観的な理想主義を掲げる白樺派が二大勢力を形成していた。新思潮派は、これら先行する二つの潮流の限界を克服しようとする試みから出発した。
彼らは自然主義の現実凝視を評価しつつも、その感情に流された主観的な自己暴露を批判した。同時に、白樺派の楽観的な人道主義に対しても、現実の厳しさや人間のエゴイズムを冷徹に見つめる知性が欠けているとみなした。この双方の弱点を排し、明晰な理知によって現実や人間心理を解剖・再構成しようとした態度から、彼らは「新理知派」あるいは「新現実主義」とも呼ばれる。
2. 古典の知的再構成と劇的な技巧
新思潮派の最大の特徴は、古典や歴史的事件、あるいは日常のありふれた一場面を素材に選び、そこに近代的な知性と心理分析を導入して新たな作品に仕上げる「技巧主義」にある。その代表例が芥川龍之介である。芥川は『今昔物語集』や宇治拾遺物語などの古典説話を題材にとり、『羅生門』や『鼻』といった作品で、人間のエゴイズムや虚栄心を冷徹な理知と完璧な文章構成で描き出し、夏目漱石から大絶賛された。
また、菊池寛は明快なテーマ性とドラマチックな構成力をもって『父帰る』や『忠直卿行状記』などの戯曲や小説を執筆した。彼らの知的で洗練された文体と確かな構成力は、大正デモクラシー期に急速に台頭しつつあった都市の知識人層(インテリゲンチャ)の好みに合致し、文壇に確固たる地位を築くこととなった。
3. 大正デモクラシーと「新思潮派」の歴史的意義
新思潮派の登場と発展は、大正デモクラシー期における日本の近代知性の成熟と深く連動している。感情論から一歩引き、合理的かつ多角的に社会や人間を観察する彼らの態度は、同時代の社会科学の発達や市民意識の成長と軌を一にしていた。
後年、菊池寛が文藝春秋社を創設し、芥川の死後に「芥川賞」(および直木賞)を設立したことは、日本の近代文学が特権的なエリートのみのものでなく、広く大衆に開かれた文化へと移行する決定的な契機となった。新思潮派は、文学における知性の役割を決定づけ、日本近代文学の自立と定着に大きく貢献したといえる。