綴方教育運動 (つづりかたきょういくうんどう)
【概説】
大正デモクラシー期における「大正新教育運動(自由教育運動)」の一環として展開された、作文指導における革新的な教育実践運動。従来の模範文の模倣や形式的な記述を批判し、子ども自身に生活や感情をありのままに表現させることで、自己表現力や主体的な人格を育もうとした。
大正新教育と「児童中心主義」の台頭
大正期に入ると、大正デモクラシーの自由主義的な風潮を背景に、従来の国家主義的・画一的な注入主義教育に対する批判が高まった。この時期に興った「大正新教育運動」(自由教育運動)では、子どもの個性や自発性を尊重する「児童中心主義」が唱えられた。その中で、国語教育の分野において大きな潮流となったのが綴方教育運動である。
それまでの学校における作文教育は、美辞麗句を連ねた模範文を真似る「擬古文」の模倣や、型にはまった形式的な文章作成が中心であった。これに対し、鈴木三重吉が創刊した児童雑誌『赤い鳥』における児童文学運動(童話・童謡運動)などを契機に、子どもたちのありのままの生活や、生の感情を素直に表現させる「綴方(作文)」の理念が提唱された。教育現場では、芦田恵之助や千葉命吉らがこの運動を牽引し、子どもの内面的な自由と自己表現力を育む実践が全国の小学校へと広がっていった。
「生活綴方運動」への深化と昭和期の弾圧
1920年代後半から1930年代(昭和初期)にかけて、世界恐慌による深刻な不況、特に東北地方などの農村の貧困(冷害や欠食児童問題)を背景に、綴方教育は単なる児童中心主義的な自己表現の枠を超えて、厳格な社会現実を凝視する「生活綴方運動」へと深化・発展した。小砂丘実(ささおかみのる)らが中心となり、子どもたちに貧しい家庭環境や労働の実態をありのままに書かせることで、社会的な矛盾を客観的に認識し、自立的に生きる力を培おうとしたのである。
しかし、1930年代後半に入り軍国主義化が進むと、この動きは国家権力から危険視されるようになった。子どもたちが直視し記述する社会の貧困や矛盾が、階級意識を刺激し治安を脅かすものとみなされたのである。1930年代末から1940年代初頭にかけて、多くの指導的教師たちが治安維持法違反の容疑で一斉に検挙される「生活綴方事件」が発生し、運動は壊滅的な弾圧を受けた。しかし、ここで培われた「生活を見つめ、ありのままを記録する」という教育思想と実践は、戦後の民主主義教育における生活綴方実践へと受け継がれていくこととなった。