統治権
【概説】
国家を統治する総合的な権力のこと。近代日本の歴史においては、大日本帝国憲法のもとで天皇が国家の元首として総攬した絶対的な権限を指す。
大日本帝国憲法と天皇による「総攬」
統治権とは、一般に国家がその領土と人民に対して行使する包括的な権力を意味する。日本史においてこの概念が極めて重要視されるのは、1889年(明治22年)に発布された大日本帝国憲法における天皇の権力規定と密接に関わっているためである。同憲法第4条は、「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リテ之ヲ行フ」と明記した。これにより、統治権は主権者である天皇の下に一元化され、天皇は立法・行政・司法の三権すべての上に立つ絶対的な地位に置かれた。
明治政府は、近代国家の建設にあたり、議会や国民の権利を一定程度認めつつも君主の権限が極めて強いドイツ(プロイセン)の憲法体制を模範とした。伊藤博文や井上毅らが中心となって起草された大日本帝国憲法において、統治権を天皇が「総攬」するという規定は、日本を万世一系の天皇が統治するという「国体」を法的に裏付ける最大の根拠となったのである。
「条規」による制限と強大な天皇大権
天皇は統治権のすべてを掌握していたが、その行使には一定のルールが設けられていた。第4条にある「此ノ憲法ノ条規ニ依リテ之ヲ行フ」という文言の通り、天皇といえども無制限に権力を行使できるわけではなく、立法権は帝国議会の「協賛」を、行政権は国務大臣の「輔弼」を、司法権は裁判所の「名において」行使するものとされた。これは立憲主義的な権力分立の側面をもっていた。
しかしその一方で、憲法には帝国議会の関与を必要としない強大な天皇大権が多数規定されていた。代表的なものとして、陸海軍の指揮命令権である統帥権、宣戦・講和および条約締結の権限(外交大権)、緊急勅令の制定権などがある。特に第11条に規定された統帥権は、政府や議会の統制を受けない「統帥権の独立」として解釈され、のちの昭和期において軍部が政府の意向を無視して独走する最大の法的根拠となってしまった。
統治権の主体をめぐる憲法学説の対立
大正期から昭和初期にかけて、この統治権の解釈をめぐって深刻な学説上の対立が生じた。穂積八束や上杉慎吉に代表される天皇主権説(君権学説)は、統治権の主体は天皇個人にあり、天皇の意思こそが国家の意思であると主張した。これに対し、美濃部達吉らが提唱した天皇機関説は、近代法学の観点から統治権の主体は「国家」という法人にあり、天皇はその最高機関として統治権を行使すると論じた。
政党政治が発展した大正デモクラシー期には、議会や内閣の役割を重視する天皇機関説が通説として政府内でも広く受け入れられていた。しかし、1930年代に入り軍部や右翼の台頭が著しくなると、天皇機関説は「天皇を神聖視する国体に反する」として猛烈な攻撃を受けた。1935年(昭和10年)の天皇機関説事件により美濃部は公職を追放され、政府は「国体明徴声明」を出して統治権の主体が天皇自身にあることを公式に宣言した。これにより、立憲主義的な憲法解釈は完全に排斥され、軍部による国家総動員体制への道が開かれることとなった。
日本国憲法の制定による統治権の消滅
1945年(昭和20年)のポツダム宣言受諾による敗戦を経て、日本の統治体制は根本的な転換を迫られた。1947年(昭和22年)に施行された日本国憲法では、主権が国民に存することが明記され(国民主権)、天皇は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と位置づけられた。これにより、天皇は国政に関する権能を一切持たないこととなり、大日本帝国憲法における「統治権を総攬する元首」としての地位と権力は歴史から姿を消したのである。