紀氏 (きし)
【概説】
大和朝廷の成立期より軍事や外交で活躍した古代の有力豪族。伝説的な重臣である武内宿禰(たけうちのすくね)の後裔と称し、紀伊国を拠点に勢力を伸ばした。平安時代前期の「応天門の変」で伴氏とともに排斥され、中央政界の主流から退いた。
古代における外交・軍事への貢献
紀氏は、紀伊国(現在の和歌山県)の大族であり、紀ノ川流域の海上交通権を握ることで成長した豪族である。記紀神話において朝廷の重臣として描かれる武内宿禰の子、紀角宿禰(きのつののすくね)を祖と仰ぐ。5世紀から6世紀にかけては、その地理的優位性を活かして朝鮮半島(特に任那や百済)との外交や軍事遠征で一族の者が大将軍に任じられるなど、大和王権の国際政策において重要な役割を果たした。
応天門の変による政治的没落と文化への転身
飛鳥時代から奈良時代、さらに平安時代初期にかけても名門豪族として存続した。しかし、藤原氏による他氏排斥運動が激化するなか、866年に発生した応天門の変によって決定的な打撃を受ける。大納言の伴善男(大伴氏の末裔)の放火計画に連座する形で、紀豊城や紀静子(文徳天皇の更衣)を母に持つ惟喬親王を支持していた一族の立場が危うくなり、中央政界における政治権力を完全に喪失した。
政権の中枢から退いた後の紀氏は、学問や和歌などの文化的領域に活路を見出した。『古今和歌集』の選者であり『土佐日記』の著者として知られる紀貫之や、その従兄弟の紀友則(きのとめのり)など、優れた歌人を輩出することで平安文学の発展に大きく寄与することとなった。